十数年間、酷暑・大阪において、

 ノンエアコン生活を貫いてきた私でさえ、

 音を上げてしまう、東京浅草の街頭

 

 泣きたくなり、逃げ出したくても、

 下見も無しに、ほかの場所をおいそれとは、

 選ぶことはできません。

 

 場所を変更するにしても、

 入念な下見は必要ですから。

 

 もういい浅草

 これだけ欧米系外国人観光客

 

 しかも浅草来るような

   ウブな初心者からさえ、

 相手にされないようであれば、

 

 日本人相手標的を切り替え、

 トラブル覚悟派手な界隈へ、

 乗り込むしか手はないかもしれない・・・・

 

 ちょっと待て。

 ふと、自身を俯瞰して気が付きました。

 

 パフォーマンスする場所だけが

 今回の私が打った、

 人生の大博打における最重要課題でしょうか?

 

 誰からも相手にされず、

 ただ所在なさげに立ちながら、

 

 私は問題の根幹をすり替えようとしている

 自分に気が付いていました。

 

 人生の終盤、ウンコ塗れの過程を

 何とかするために窮鼠嚙猫的に打った策ですが、

 成功させるために必要なのは、

 

 アイデアなのか、実力なのか、

 行動力? ええ、それらも必要にして、

 大事でしょう、間違いなく。

 

 でも、違う。

 本当に成功に必要なのは、

 自分自身が変化すること

 

 生まれつき不愛想にして、

 人間嫌い。これはグレートマザーの

 お墨付きですから、疑う余地はありません。

 

 けれど、今ここで、可動域だけは、

 すべて使用し、動く範囲だけでも、

 角度の変化、エネルギーの質向上など、

 

 自らが意識して、やらないと、

 大阪時代のノリのままでは、

 血路は開かれない。

 

 変われ、変われ、自分から。

 出来ることはすべてやれ。

 

 愛想が良いまでは無理でも、

 感じの良い人くらいなら、

 努力で変化可能なはず。

 

 ここで変化しないと、

 人生が終わる・・・・・・。

 

 そこまで思い詰めた時

 ふと、見ると、

 

 私のホワイトボードの前に、

 立って、こちらを見ています

 

 誰やアンタ? 何か用か?

 

 ええ、そうです、この方こそ、

 記念すべき第一号客、

 スウェーデン人男性のオスカルさん

 

 私は、戸惑い、驚きながら、

 慌ててぎこちない手つきで、

 

 「瑞典(スウェーデン)」「雄狩瑠」

 とホワイトボードへ記入し、

 彼写真を撮らせました

 

 その時です。

 

 背中に、羽が生えたような、

 錯覚を覚え、何かから解き放たれるような、

 感覚を覚えたのです

 

 漢字を書いた、ただそれだけ。

 そして自分がどれほどこの行為を

 熱望していたのかを自覚できたのです。

 

 この時、咄嗟に出たフレーズこそ、

 とにかく明るい安村さん

 英語圏での決め台詞のパクリ

 

 「ドントウォーリー、フリー・オブ・チャージ!!」

 であり、以後、どんな観光客にも使いました。

 

 初日たった一人だけのお客でした。

 翌日は、2時間って、ゼロ

 

 けれど来る時は来るもので、

 来るようになると人力車スタッフさんと、

 世間話わしたり、

 

 地元の人世間話をするなど、

 徐々交友が広がり

 

 いつしか私は

 場所を変更しようという気が

 起こらなくなっていたのです。

 

 きっと東京中しても、

 他にこんな場所はないはずです。

 

 私が唯一、漢字を書かせてもらえる場所は、

 浅草雷門前・観光案内所前しかなく、

 

 あれほど気が重かった浅草行脚が、

 いつしか楽しみとなり

 

 そしてあの運命の日やってきたのです。

 

 <続く>         バッタもん