さて、ここで東京で毎日、
交わる人々を紹介したいと、
思います。
まずは、シェアハウス・羅生門から。
空きベッドが多く、住人がそれほど
多いわけではありませんが、
概ね若い人が多いのが特徴でしょう。
一人だけ歳を食っている私は、
顔を合わせればとにかく、
丁寧に接し、言葉遣いには、
細心の注意を払っています。
そうすれば、彼らの顔も立ちますし、
トラブルにならないことを、
バックパッカー時代に、
外国で学んでおり、ひたすら
実行しております。
彼らは、愚かでも馬鹿でもありませんが、
一言で言えば、拙い、のです。
私が帰宅すれば、
ロビングでTVゲームに興じており、
どうやらかつての職場同様、
時間という概念は持たない様子。
これからも一定の距離を保ち、
摩擦だけは起こさないように
心掛けるつもりです。
一方、前線基地は、完全に
カーテンとパーテーションで
区切られているため、
住人の顔はまるで見えません。
但し、自腹で勉強場所を確保するくらいの、
気概はある人達なので、空間としての
空気は悪いものではありません。
また、毎日、私が入り浸っている、
前線基地周囲のセルフ式カフェの人達は、
なかなかの猛者揃い。
朝から、日経は持っていても、
スポーツ紙を持ったアホなど、
一度も見たことはなく、
朝・昼。夜、いつ行っても、
多くの利用客は、PCを広げ、
書類と格闘し、
始業中も始業前も常に戦っており、
こちらもまた、悪い空気ではありません。
努力する、それが特別な事か、
それとも当たり前の事かは、
場所によって違います。
かつての職場では、怠惰と倦怠感、
惰眠と馴れ合いが支配する世界。
私は13年間、その空気と戦い、
自己に打ち克つ戦いを繰り返してきました。
徒手空拳でやってきてしまった、東京。
けれど居心地そのものは、
決して悪くないのです。
<続く> バッタもん