30年も続けてしまった執筆の
筆を折るに際し、
私なりに
現実を変化させられなかった事実を、
分析した結果、
適性の低さと勘違い、
なにより実力が足りなかったため、
という判断を下しました。
漢字の勉強を本格化するに際し、
同じ勘違いをしないよう、
自身へ言い聞かせました。
現状、実力が足りないなら、
実力を身に付ければいい、と。
そのために必要なモノ、
それは、努力。
勉強あるのみ。
真理とは常に、
単純明快なのです。
そして、ひたする勉強へ
没頭する時間が
始まりました。
しかしそこは想像以上の、
底なし沼。
漢字の勉強は範囲が広いため、
簡単には仕上がりません。
勉強を効率化するためには、
練習台帳を作成し、
さらにその台帳を書き加えたり、
順番を並べ直すなど、
微調整は常に付きまといます。
地味で目立たず、淡々とした
作業の繰り返し。
ただ根気だけが、求められます。
こんなことやって
意味があるのだろうか?
そんな自問を幾度も思い、
やらなければ人生の敗北が
確定するぞ、と、
自答を繰り返します。
電車の中で、ノートへペンを走らせる
変人など、当然、私ひとりだけ。
周囲は全員スマホへ夢中。
仕事の待機中、
周囲がスマホのゲームへ没頭する中、
勉強へ勤しめば当然ながら、
変人扱い、誰からも敬遠されます。
マジョリティが
常に正しいわけではない、
歴史から、
そう学んでいた私は、
空虚な時間と向き合いつつ、
誰とも関わらず、
人付き合いは最小限。
お出掛け先はいつも決まって
ビデオ個室ボックス。
楽しみなど、
MLB、NFLテレビ観戦と、
清楚系女子アイドルグループを
応援するくらいのもの。
現在、アメリカ旅行は
諸事情により、封印しています。
人生に遺された時間を計算する度、
背筋は凍り、私を勉強へと
否応なく駆り立てます。
なんとか世に出なければ、
活路を見出せなければ、
人生が終わるだけではありません。
溢れるほどの愛情と世話、
迷惑と心配を掛けてしまった母親を、
一度も喜ばせず、安心させずに、
喪ってしまいかねないからです。
時間。
私が現在、最も恐れるモノから
容赦なく急かされながら、
私は淡々と地味な作業を
繰り返し続けましたが、
勿論、現実という壁は、
相変わらず、
私の前へ屹立したまま、
一ミリも動く気配はなく、
どれほど頭上を見上げようと、
蜘蛛の糸は、
一向に下りてくる気配を
見せないのです。
<続く> バッタもん