もう子供たちはこの連休から夏休みに入ってるんだよね~羨ましいことだ。
 夏休みといえば、ゴチャ箱の子供の頃にはお昼のワイドショーで“怪談特集”なんてのを放映してたわけだ。毎日お昼ごはんを食べながら、心霊写真や怖い話の再現ドラマを見たりして。怖かったけど楽しかったな~。

 ゴチャ箱は怪談奇談の類は大好きなので、人に聞いたり本を読んだり、最近ではネットで探したりと、かなりの数を収集してるけど、人に話さないとどんどん忘れちゃうんだよね~。だから、記憶の整理と補強を兼ねてゴチャ箱自身が経験したお話や、ごく身近な家族や直接の友人たち(「友達の友達の話なんだけど…」てのはなるべく除外ね)の体験談から思い出すままに書いてみようかな。

 そんなわけで最初のお話は、ゴチャ箱の一番古い記憶にまつわる不思議な話を。


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 僕が物心付くか付かないかのころ、まだ保育園に通いだす前だから3歳くらいまでかなあ。たぶん、妹もまだ生まれてなかったと思う。
 そのころ、父親が勝浦の某ホテルに勤めていた関係で、そこの社員寮に住んでいたんだよね。んで、お隣に住んでた同じ年頃の男の子と仲良しだった記憶がある。もうどんなことして遊んだかとかは忘れちゃったけど、ひとつだけやけに鮮明に覚えていることがあるのだ。それは、

 「おとなりの部屋に勝手に上がりこんで、その子とお父さんがお風呂に入っているのを眺めてる」

 という記憶なんだけど。
 コレがちょっと変というかちょっと不思議なことに後年気付いたんだな。

 どこが不思議なのかというと…僕はその親子がお風呂で楽しそうに遊んでいるのを、ただ眺めているだけなんだよね。その子に話しかけもしないし、向こうも僕に話しかけてこない。普通、お隣の子供が上がってきたら、挨拶するなり叱るなり、何らかのリアクションがあるはずなのだけど、それが一切ない。ただただ僕は、その友達とお父さんがお風呂に入っているのを見てるだけなんだな。

 でも子供の頃は不思議とか全然思わなかった。ただそういう思い出がある、それだけのことだった。
 だけど、もっと大きくなって、たしか20歳過ぎとかだったかなあ、ふとしたことから「自分の一番古い記憶ってなんだろ?」と遡って考えてみたところ、その記憶に辿り着くと同時に、その記憶の不自然さにも気付いてしまったわけだ。それはなにかというと。

 となりの部屋の風呂場に行くまでの間、一度もドアや扉の類を開けるという行為をしていないのだ。


 僕は自分の部屋の玄関のドアを抜けて、アパート形式の社員寮の2階の通路を通り、お隣の部屋の玄関から上がりこんで、さらに奥の風呂場までいくつもの扉を越えなければならないのにもかかわらず、だ。
 つまり僕は、自分の家の玄関ドアも隣の家のドアも襖も風呂場のサッシも全部通り抜けて、友達のところまで辿り着いていたことになる…それにに気付いた時は愕然としたね。正直、寒気がした。

 でも、そのことを思い出したことで、逆にこの記憶の不自然な部分が解消もされることにも気付いた。つまり、

「ああ、あのとき風呂場まで入り込んだ僕を無視してたのは、つまり僕の姿が見えていなかっただけなんだな」と。

 これはまったくの推測でしかないけれど、僕はどういうわけかそのとき“幽体離脱”みたいな状態で、意識だけが自分の身体から抜け出し、フワフワとお隣の部屋に上がりこんでしまったんじゃないのかなあ。
 それ以後、そういった経験は一度もない。もしほかにもあったならば、あの記憶に関してももっと早い時期にその不自然さに気付いていたはずだしね。

 でも…自分の思い出がひどく不可解であることに気付いた瞬間のあのなんともいえない感覚は、ちょっとだけ怖かったなあ。