一人暮らしを始めて1年以上経った。


実家暮らしをしていた頃はあれだけ近く、時に親しく時に鬱陶しく感じていた家族とは共にする時間が減った。引っ越したばかりの時は頻繁に連絡をとっていたが、最近は話すこともあまりない。


関心がないわけでも嫌いなわけでもなく、ただ「遠くてあたりまえのもの」になってしまったのだ。


そのうち、家族について考える時間が減ってきた。今頃父は仕事をし、母親は家事、院生の兄は勉強、そして家猫の小太郎は昼寝でもしているのだろう。彼らの人生にも波はありその人生に一つ一つのイベントはあるだろうに、それらを思慮する余裕は他のことに奪われてしまった。


「いつまでも あると思うな 親と金」


金はどうにでもなるが親はいつかはいなくなる。親が元気なうちに親孝行しておけ。そんなことは分かってる。だが、「元気でやってるだろうからそれでいいや」以上の気持ちにはならなかった。





もちろん実家に帰ったら家族と一緒だ。でも、父には気を遣うようになった。母とは喧嘩するようになった。


「京都に行ってから性格悪くなったね。」


母に真顔でそう言われた時も何も思わなくなった。ああ、またいつもの癇癪か、とだけ。そんなうちに、まだ親孝行は先でいいだろうと勝手に思い込んでいた。まだ先のことだろうと。





大学には色々な場所があり、色々な人がいる。自分も幅広い大学生活を送るうちにたくさんの友達ができた。そして、二十歳になって酒を飲めるようになった。打ち解けたら酒を飲んで身上話をすることも多い。すると自然に家族の話になるが、自分には「あたりまえ」の家族をうまく表現することができなかった。


それでも、他人の家族の話を聞くのは面白い。親と驚くほど仲がいい人、兄弟姉妹を溺愛する人、逆に心配になるほど仲が悪い人。自分とは違った家族観を知ると、「自分にとって家族ってなんだろう?」と考えるきっかけになった。


そして、家族がいるのが当たり前ではないことも知った。無知蒙昧な自分は恥ずかしくも「お父さん何してる人なの?」などと他人に質問してしまうことがある。まるで親がいるのが、家族がいるのがあたりまえとでも言わんばかりに。


二十歳ともなるとそういった人は多いのだろうか。両親が離婚しお父さんの記憶がない人。大学生になってから病でお母さんを亡くした人。お父さんとの思い出があってももう会えない人。


自分にとって家族って何なんだろうか。親って何なんだろうか。ひょっとしたら明日突然いなくなるかもしれないのに。


幸いにも両親ともに大きな持病はないが、二人とも還暦に差し掛かる歳だ。万が一の事があったら、自分は遠方だから看取れないかもしれない。「その時」はいつか必ず来る。二人がさらに歳をとったその先にある「それ」。目を背けて逃げている自分に気付いて身が凍る思いをした。





よく考えたら自分は家族が大好きだ。両親を尊敬してやまない。今更自分にそんなことを言う資格があるのか分からないが、言わなきゃいけない。そんな気がしてきた。些細な日常に流されようと、二人は立派に俺の両親でいてくれている。


自分が高校に行かなくなっても挫けずに毎日弁当を作ってくれた母親。本当は早起き苦手なのに、毎朝5時に起きて。学校に行くか分からない、多分行かないだろう自分のために。手の込んだ大盛の弁当を毎日作ってくれた。それを昼過ぎに起きて食べる自分。それでも次の日にはテーブルに弁当が置いてあった。


自分が高校を退学しても、自分を信じて大学受験させてくれた父親。すごい博打だっただろう。なぜって高校まったく行ってなかった奴が「東大目指すから通信制高校と予備校行かせろ」なんて言うんだから。それでも俺を、みっともない人生のどん底の自分を信じてくれた。結局東大には行かれなかったけど、父親と同じ國學院大学の史学科に受かった時は大喜びしてくれたし、立命館に受かった時も喜んでくれた。そして、その二つから自分が國學院ではなく立命館を選んだ時も、ちょっと残念そうな顔をしながら俺を京都まで送り出してくれた。




紛れもなく光重さんは俺の自慢の父親だ。

紛れもなく千恵子さんは俺の自慢の母親だ。


ちょっと連絡しなくなったとか、気遣うとか喧嘩したとかでそれは揺るがしちゃいけない。そう思えるようになった。そんな立派で素敵で格好良くて唯一無二な両親に恥じない息子であるために、親孝行がしたい。そう強く思えるようになった。


父親には神職になって親父に装束姿を見せたい。それが宿命であり「あたりまえ」だとしたら、それだけじゃなく宿命以上のものを形にして示したい。なら、親父の果たせなかった夢、日本史学の博士号を親父に見せたい。見せられなくても、叶えるために粉骨砕身する自分を親父の目に焼き付けたい。


母親には早く子供を見せてあげたい。男子校5年に加え暗いバックグラウンドを持つ自分に恋愛が出来るかはわからない。でも、結婚して子供を持ち、もう心配させないぞ、という固い意志を示したい。「孫の顔が見たい」という心理はまだ自分には分からないが、それで母さんが喜んでくれるならすすんでそうしたいと思う。




立派な大人になりたい。今までの感謝を伝えたい。

いつかくる「その時」までに、精一杯の親孝行をしたい。心の底からそう思えるようになった自分は、一人になってから少し成長出来たのだろうか。


6月22日