浅野 哲そして嫁?について

出会いに関しては深くは知りません。
僕がダナンへ来た3年前には既に一緒でした。
聞いた話ですが、彼女は元々、男相手のローカルカラオケで働いていてそこで出会ったと周りの人は言っています。
ダナンに来る前にもハノイでカラオケの女にバイクや家をプレゼントしていたとか?と聞いています。まあ66歳?になる人にまともな若い女性が惚れるのは難しいと思うので想像しやすいです。
ダナンに来てからもしばらくはハノイの女に仕送りをしていたみたいです。この仕送りも未練なのか何なのか知りませんが。
勿論、僕ら息子達の給料以上の金額を。
現在の嫁?にもかなり浸かっている、使っているみたいですね。
結婚と言う話になったので相手方の家族にも。
僕ら、息子には中古のバイク(1,000ドル相当)をくれました。
嫁には、新車のべスパ(4,000ドル相当)をくれていました。
嫁の家族に何台のバイクを買ってあげたのでしょうか?バイクだけで1万ドルは超えているのではないでしょうか?
田舎の嫁の実家は改装され、家にカラオケまで付き、結婚の際には結納金?として2万ドルもいれたようです。
田舎の収入は都市部よりも遙かに低く、恐らくあの地域だと月収で100ドルもないと思います。そうなると単純に20年分くらいの収入を結婚する名目で相手に払っていることになります。当然相手は大喜びでしょう。
数ヶ月前には嫁のお兄さんの家も改装したようです。

面白いことがありました。ある大切なビジネスミーティングがありました。末席には次男が座っていました。しかし、彼の横に嫁がいて言葉もビジネスも分からないのですが、なんと彼をウチワで扇いでいるんです。これには驚愕しましたね。大昔の中国ではありません。今は21世紀です。

そもそも結婚についてもどうなんでしょう?
66歳?になる人と25,6歳?の田舎の女性が簡単に結婚できるんでしょうか?
もう、何度田舎の役所に行っているのか?結局手続きは終わっているのか?
田舎へ行く口実を作って田舎の実家へ行きお金を落とさせているだけなのか?
入籍ができるのかできないのか完了しているのかわからないけれど、行く度に役所へ賄賂、実家にお金を落としているんでしょう。
彼も言っていました。
田舎の人たちの収入等。
しかし行く度に毎日朝から晩まで酒盛り、相手方の家族も幸せでしょう。1人の日本人が嫁に好意を抱いたために何から何まで、簡単に言えば今まで夢にまで見た生活が無償で手に入るんですから。みんな笑顔なのは当然です。

以前、アジアで女に嵌まる男性を見下した発言をしていました。遊びは良いが本気になる人間の気持ちが分からない!と言っていました。しかし今はそんな彼ら以上のことをしている本人は何も覚えてないし、十分幸せなのでしょう。僕ら元家族にとっては恥ずかしいことであり、もう関係を持ちたくもありませんが。

僕はベトナムに来てから1度だけシンガポールに次男と連れて行ってもらったことがあります。その時お小遣いとして150ドルくれました。一方で嫁にはどれだけ使っていたのか想像も出来ません。その後嫁はカンボジア、ミャンマー、フィリピン、日本とビジネスクラスで一緒に旅してたと思います。ホテルも良いところに泊まって、美味しいご飯を食べていたと思います。その一方で僕はダナンでレストランを売上高めるためにスタッフと一緒にまかないを食べて働いていました。



このまかないは15,000VNDです。日本円で75円程です。こういったベトナム料理を彼は一切食べないので、どういった環境で仕事をしていたのか分からないでしょう。仮に言っても「若い時には苦労しろ」的なことしか言わないで僕から話すこともありませんでした。

そんな嫁と彼の日々はホーチミンとダナンで繰り広げられ、次男はノイローゼのようになり筋を通して別れました。僕もまた次男に続き半年程経って、以前に書いたマフィア抗争等が始まり身の危険を感じて去りました。彼には現在家族と呼べる人は嫁しかいないと思います。長男は既に3年くらい彼と会ってないと思います。最初に長男が去り、次に次男、そして僕です。三兄弟仲が良いので、母とも円満です。ただ彼にだけは三兄弟皆誰も何も思っていません。本当は三人のLINEのグループメッセージを見せたいのですが、あまりにも過激なのでそれは後々にしたいと思います。

次回は嫁と彼について、もう少し掘り下げたものを書いて、同時にそれを証明する写真等も公開したいと思います。
三兄弟から見た父の「実態」「一般的な虚像」「妄想壁」

まず実態、彼はベトナムの多くを知っていると言っています。
さすがに、6年も7年もいれば知っていることもあると思いますがそのうちの多くはgoogleで調べれば出てくるようなことだと思います。
逆にネットでは得られないローカルなベトナムのことはあまり知らないと思われます。
勿論ベトナム語も話せるというレベルではありません。
ローカルの女性と交際?結婚?しているのでローカルのことを知っていると思えばそうでもありません。
その女性は「ど」ローカルな生まれの女性、尚且つ生産性の無い情報ばかりです。
ベトナム人と言うことで会社を彼女の名義で造れますが、実質的な仕事は一切できません。
ベトナム人でありあそこまでベトナムのことを知らないとは?と思いますね。
何かあれば自分に言ってくる。
水を買いに行くこともどこで買えばいいかわからない。
氷にしても。 ベトナム人ならばベトナム語でベトナム人に聞けばどれだけ早くことが済むことか。
彼は知らないと思いますが、そこら辺で出来上がった食材を買い、盛り付けて「自分が作った」ということも。
食材のことは多少自分も知っているので、あり得ないような金額で食材を買ってきて食費を彼に請求していたり。
それでも彼はわからないのでお金を払いますよね。
そんな女性でも、Facebookには「ダナン 最高経営責任者」と言うプロフィールで掲載しています。
あきらかにおかしいですね。
次に一般的な虚像、世間にはカジノホテルオーナー。
実際はどうなんでしょう?
勿論現在はカジノホテルのオーナーではありませんね。
確かに以前はダナンでカジノを運営していました。
その後は?カンボジア、失敗に終わりました。
また、先日のブログでも書きましたが、渡航費等は実費。
まさかのスタッフ等の渡航費等も自費でした。



そして、



このメールでカンボジア撤退。
勿論、労う時も僕の自費でした。
その後は?ミャンマー?良いだけ、次男はミャンマーについて調べたり、ミャンマーのカジノ事業目論見書などを作っていました。
が、今は何か進んでいるのか?
その後は?フィリピンのセブ島?これもまた同じです。
そして今は?マカオ?どうなんでしょう?
最近見たブログでは鞄持ちをはじめると、書いてありましたが。
まさか、ベトナムの女性と二人共に日本へ行っているのでしょうか?
因みに、鞄持ちをするのはいいですがベトナムでの事を0にしてからにしてほしいですね。
僕の給料も支払われていませんし。
また、先日 某日本食レストランに取り立てに同行させられました。
内容が、「2万ドル貸していてずっと返してもらえないために取り立てに行く。お前も行ってあげてくれ。」との事でした。



その際に同行したら、取立ての人が凄い剣幕で戻ってきました。
タクシーで待っていた僕は何も聞かされずにタクシーを降ろされ彼らは行ってしまいました。
何が起きたのかわからず帰宅したら、ダナンの知り合いから連絡が来ました。
その某日本食レストランの方から電話が来た。と。
どうやら、いきなり怖い人たちが家へ来て浅野 哲の代理で借金を取り立てに来たと。
2万ドル+利子等を。
しかし、その某日本食のレストランの方はすでに1万ドル返済していて、残りの1万ドルはいつでも都合のいい時に返済してくださいと言われた。と。
取立てに行った方たちも話が違うことに困惑したらしく、すぐに浅野 哲へ連絡。
話しをすると浅野 哲は「えぇ?そうでしたかぁ? 覚えていません。」との返答。
正規の金額を回収に行ったつもりが半分返済済みと言うことで1万ドルの回収で2万ドル請求してしまったのです。
そんなことを他人に任せ、実の息子を同行させたのです。
おかげで、後々話しを聞くと路地裏に連れて行って「身内」と言うことでバタバタにされる寸前でした。
僕はダナンの知り合いから話を聞いてからすぐに取立てへ行った方に連絡をしました。




そのあとは会って頂き、お話しをさせていただいました。
お会いして、僕自身何も聞かされてなく同行させられた経由、現在三兄弟が思う父の実態、虚像等についてお話ししました。
最初は信じがたい話でしたが、いろいろと合致しなかった話しがつじつまが合うようになり信じてもらいました。
「妄想壁」
基本的に彼は「俺がいないと何も出来ない!俺が正しい!俺がすべて!馬鹿ばっかり!何をするにも遅い!」と言う感じです。
妄想壁なので自分で言ったこともすぐに忘れ良いように変えてしまいます。
例えば、ホーチミンでのある一件。















いきなり理由も時になしに呼ばれ。
ボディーガードでは無いと。
道ずれ?
実際に一度、カンボジアへ大金を持って行く時にボディーガードとして使われましたが。

そして、来なくても良いよ。となったあとに文句まで言われ。




次は浅野 哲という人物とその嫁?について書きたいと思います。



今回は僕がダナンにきた経由を書こうと思います。

まず、ベトナムへ来たのが3年前の6月。
最初の一ヶ月ほどはハノイへ。
その頃まだ父はハノイでホテルとレストランをやっていました。
やっていたというか、長男にまかせっきりと言う感じでしょうか。
僕がハノイへ来てすぐに店じまいの手伝い等をしていました。
ハノイでよくわからずに一ヶ月ほど日々を過ごしていると、ダナンで日本食レストランのマネージャーをやってくれとダナンへ呼ばれました。
ベトナムへ来る前は日本で8年ほど鉄骨、橋梁とび職をしていたので勿論レストランで働いたことなんてありません。
英語もベトナム語も話せない状況でした。
まぁ、日本語も通じるし店番だけしていればいい感じだと言われていました。
行ってみたら日本語もほとんど通じない、どうすれば良いのか!?と言う感じでしたね。
とりあえず、ボディーランゲージからベトナム語を少しづつ覚えていきました。
半年くらいで一応少しは話せるように。
英語もBARなどでコミュニケーションをとり少しずつ覚えていくように。
聞かされていた環境とはまったく違いましたが、何とか頑張っていくことに。
最初は何もかもがわからなかったのでとにかくがむしゃらにって感じでした。
そんな2年弱ほど経ったとき、台風の影響で本店が崩壊してしまいました。
契約更新も近づいてきていた頃なので本店を改装して続けていくか、新しい場所に新しいものを造るかの二択になりました。
そこで僕は、新しい場所に新しいものを造る選択肢を選びました。
新たなものを造るためにデザイン、設計等すべて終え、あとは始めるだけ。という時期にカンボジアのカジノの件が被ってしまったのです。
カンボジアで、毎日3度のビュッフェ、日本食の店、F&Bのコスト削減等をベトナム人スタッフを3名連れてやっていました。
カンボジアのカジノに力を入れる。と言うことでおのずとダナンの新しいレストランの件は待ってくれと言うことになりました。
飲食の方は、スタッフ達も頑張ってくれたおかげで一ヶ月 400$のコストカット、日本食の提供ができるように。ビュッフェもベトナム人のお客さんが多かったのでベトナム人が好むものを。
勿論、そんな事をしても直接的に僕に何らかの利益はありません。
しかし、スタッフ達は全員国外に出たことがない。
それなりにケアしなければならないので4人で24時間体制でやっていましたが飲みに連れて行ったり部屋へ話に行ったりと。
勿論、スタッフ達との外食等は実費です。
経費というものは存在していないので。
僕自身、一度体調を崩し、最初は指先が痺れ動かなくなり、それが足にまで痺れが回り歩けなくなったことがありました。
因みに、ベトナムへ来た最初の頃に一度健康診断をして以来一度も検診等は受けていません。
500$以下の給料で、スタッフの家等を借りてあげて、その他にも出費がかさみ毎月手元には微々たるお金しか残らないので。
そんな中、月に数回は日本人の方との食事、飲み等があったので貯蓄なんてできませんでしたね。
その動けなくなってしまったときも、しばらく休み少し落ち着いたときに数百$渡され、一人でホーチミンの病院まで行きました。
因みに、半年ほどカンボジア⇔ダナンを週一、二週間に一度 往復していましたが、航空券意外の移動費は実費でした。最初の2回ほどはホーチミン~カンボジア間だけ車を手配してもらい往復していましたが、「使われてる身として贅沢ではないか!?」ということで結局実費になったのです。
そして、カンボジアで半年ほど過ぎた頃に唐突によく分からずカンボジアから撤退することになりました。
「スタッフを連れて、ホーチミンへ来い。」との連絡でした。
BENTO.COMというホーチミンで弁当の会社も父はやっていたのでそこで数日働きスタッフ2人はダナンへ撤退。
1人はそのままBENTO.COMに。
BENTO.COMも日々数食の注文しかなく閉めることに。
僕はBENTO.COMに直接関与していなかったので分かりませんがその頃次男はいましたので、聞いたところ、ひどい運営だったとか。
そのBENTO.COMに残ったスタッフはすぐのダナンへ越させ、築地で働かせました。
それから、僕はダナンに戻りインドチナタワーの「築地」にいることが多くなりました。
ここ数ヶ月前から利益を出せるようになってきました。
今年の2月にテナント更新をするかしないかというときに「このまま15平米くらいの小さな場所で1,100$弱のテナント料+売り上げの10%を取られていく、また、インドチナタワースタッフに営業妨害されるような所」で店を続けていくのか、または閉店するのか考え、父にどうするのか聞いてみました。
勿論?「閉めるなんて事はない、継続だ。」との返答でした。
まぁ、僕からしても自分から出資して物事を始めるだけの力がなかったので受け入れるしかなかったですね。

何だか、本当なのか嘘なのか信じがたいところもあると思いますので、次回のブログではSMSや、メール等を添付させていきたいと思います。