僕は失ってから気づく大馬鹿野郎です。ここ数ヶ月、今を大切に無い物ねだりは極力やめて、有るものねだりを初めてみようかと奮闘中です。インターネットサーフィンをしていたら感慨深げな文章がありました。長文を読むのは苦手な僕ですが頑張って読みました。ぶった切ったハズの涙腺がちょっとだけ、震えましたが…(笑)。
コレ。
↓↓
相対性というものだと思います。比較対象があるとその本質が明らかになりやすいってことです。
常に存在しているものに対しては、存在していること自体が当たり前になります。当たり前のものはなかなか認識されにくい。なぜなら、人にとっての認識とは際立った差異への関心であることが非常に多いからです。昨日と違う何かに人は関心を奪われやすく、日常的な変化に目を奪われているうちに変化しない存在への関心はどんどん薄らいでいきます。
でも、その存在が失われた時、大いなる差異が生じる。その時初めて失われた何かの本質に意識が向くのではないかと思います。
だから、人は当たり前であることの大切さ、変化しない存在の大切さに気づく必要は常にあるのでしょう。
有難いという言葉は、本来、有ることが難しいという意味でした。稀少な存在だと認識して初めて有難いという意識が持てるわけで、その稀少性に気づかないと有難さも感じにくいってことです。
生きることも同じで、生きることが当たり前になると、今という瞬間の有難さを人は時に忘れます。だから、古来「メメント・モリ」という言葉が警句として珍重されてもきました。「死を思え」「死を記憶せよ」という意味です。死を思えば今の大切さがわかる、という意味です。死と比較すれば生の大切さを常に思い出すことができます。死を忘れないように昔から人々は骸骨のモチーフの指輪やネックレスを身につけたりもしました。
古代の人々も質問者さんと同じようなことを思い、大切なことを忘れないようにと、意識してもきたわけです。
若い時の恋愛は非日常性が重視されたりすることも多いものです。アニバーサリーにしてもデートにしても、いつもと違うサプライズとアクシデントが恋愛の醍醐味だと思うことは多いです。でも、いつまでもサプライズとアクシデントだけを追い求めていると、大事なものを見失ってもしまいます。つきあい始めたばかりの頃はオシャレしたり緊張したりしていても、そのうち普段着でも気にならなくなると、いて当たり前の存在になり、大切さは見えにくくもなってくる。そして愛する人がいなくなるというアクシデントによって、再びその大切さを思い出すのだとしたら、こんなに皮肉なことはないでしょう。
だから、見えにくくなってもその大切さを常に意識することは大切なことだと思います。
日常の中で埋没しがちなものにこそ関心を寄せ、見ようとする気持ちこそが、その本質を常に明らかにして、大切にしようと思い出させてくれるのだと思います。
しばらくするとどうしても意識できなくなる、という状態を当たり前にしない努力も時には必要なことなのかもしれませんね。失ってから気づくよりも、日々の努力で意識し続ける方がずっといいんじゃないかと思いますよ。
おしまいだじぇ♪
コレ。
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相対性というものだと思います。比較対象があるとその本質が明らかになりやすいってことです。
常に存在しているものに対しては、存在していること自体が当たり前になります。当たり前のものはなかなか認識されにくい。なぜなら、人にとっての認識とは際立った差異への関心であることが非常に多いからです。昨日と違う何かに人は関心を奪われやすく、日常的な変化に目を奪われているうちに変化しない存在への関心はどんどん薄らいでいきます。
でも、その存在が失われた時、大いなる差異が生じる。その時初めて失われた何かの本質に意識が向くのではないかと思います。
だから、人は当たり前であることの大切さ、変化しない存在の大切さに気づく必要は常にあるのでしょう。
有難いという言葉は、本来、有ることが難しいという意味でした。稀少な存在だと認識して初めて有難いという意識が持てるわけで、その稀少性に気づかないと有難さも感じにくいってことです。
生きることも同じで、生きることが当たり前になると、今という瞬間の有難さを人は時に忘れます。だから、古来「メメント・モリ」という言葉が警句として珍重されてもきました。「死を思え」「死を記憶せよ」という意味です。死を思えば今の大切さがわかる、という意味です。死と比較すれば生の大切さを常に思い出すことができます。死を忘れないように昔から人々は骸骨のモチーフの指輪やネックレスを身につけたりもしました。
古代の人々も質問者さんと同じようなことを思い、大切なことを忘れないようにと、意識してもきたわけです。
若い時の恋愛は非日常性が重視されたりすることも多いものです。アニバーサリーにしてもデートにしても、いつもと違うサプライズとアクシデントが恋愛の醍醐味だと思うことは多いです。でも、いつまでもサプライズとアクシデントだけを追い求めていると、大事なものを見失ってもしまいます。つきあい始めたばかりの頃はオシャレしたり緊張したりしていても、そのうち普段着でも気にならなくなると、いて当たり前の存在になり、大切さは見えにくくもなってくる。そして愛する人がいなくなるというアクシデントによって、再びその大切さを思い出すのだとしたら、こんなに皮肉なことはないでしょう。
だから、見えにくくなってもその大切さを常に意識することは大切なことだと思います。
日常の中で埋没しがちなものにこそ関心を寄せ、見ようとする気持ちこそが、その本質を常に明らかにして、大切にしようと思い出させてくれるのだと思います。
しばらくするとどうしても意識できなくなる、という状態を当たり前にしない努力も時には必要なことなのかもしれませんね。失ってから気づくよりも、日々の努力で意識し続ける方がずっといいんじゃないかと思いますよ。
おしまいだじぇ♪
