いろいろ思うところがあると、

前の記事にていろいろ考えを整理したおかげかなんなのか、

今週は随分調子があがってます。

調子が上がったとたんに

またずどんとすごい量の仕事が湧いたりするんですがね。ぐへぇ。


まだまだすきっと道筋は立ててないけど、

これについてロブ君と

単純なお悩み相談というよりは

かなり仕事色の強い相談事をしなければなのに、

当人は今週は実家へ帰って話もできず。


まあ、その分じっくり自分で煮詰める時間ができたのは

実はベターやったかもとも思いながら

早くも週末に差し掛かっている木曜の夜です。




記憶が薄れる前にイタリアの旅行記を続けますよ。


7月26日(火) 午後 (午前はこちら→ 教会の件


街中のカフェにて

隣のスイス人おじいおばあグループの

スイスドイツ語に耳を傾けながら

まったりと摂ったランチ。


地図を眺めながら午後の行程を決めました。

町から4キロ程離れた場所にある

聖フランチェスコのEremo delle Carcere(カルチェレの庵)へ。


聖フランチェスコと弟子たちの

祈りの場、いわゆる聖地です。


ホテルでもらった観光用の町の地図には

全くおさまらない場所にあって、

きっと森の中の遊歩道をゆったり1時間程歩くんだろうと思いつつ

正直道とか全く分からないままに出発笑。



この門をくぐりアッシジの街を出ます↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !

街を出てすぐはオリーブ畑にはさまれ

まだ民家もちらほらある道↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !
この辺はキャンプ場とか

“アグリ・トゥーリズム”をうたった民宿とかがあって、

そんな旅行も楽しそうとニヤニヤ。


まあ、ご覧の通り真夏の太陽を遮るものはない感じでした。


一体いつになったら

素敵な森の小道に入るかしらと

気楽にテクテク歩いていたんですが、

一行にアスファルトの登り道

しかも基本的に歩道はない道から

様子が変わらず。


しかも結構な上り坂が延々と続き始め

道は途中からもはやこんな様子に↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !
普通の車道の山道です笑


歩き始めて30分もたつと、

地図はないし、標識も何もないし、

果たして自分は正しい道を歩いているか

不安でしょうがなくなっておりました。


でも登ってるおかげもあって

こんな絶景も見れたり↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !
イタリア中部の平野をずーーっと見渡します。

まあ写真撮ってる本人は

汗ダラダラの息ハアハアやった訳やけど。。



結局標識らしきものは町の出口から一切なく(!)

そもそも歩いて良いの?的な道を

道なりに1時間程歩いて

驚いたことに無事到着。


庵の前から取った下界の写真↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !
なんか、浮世とは完全に切り離されてます。


こんな山合いの森の中に

祈りの場を作っていて、

聖域自体はかなり広いのですが、

人工物はごくわずか。

中心の建物群↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !

こちらは小さな小さな礼拝堂↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !
これ以上素朴に果たしてなり得るのか。


これらを囲む森の中に

ぽつぽつと点在する祈りの場と説教の場↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !


庵の中の食堂も、

聖フランチェスコの居室も

なんかミニマリズムの極限を極め、

驚くべきは物質的な最低限が深化して

空間的にも最低限が追及されているようで。


居室は人工物のはずなのに

穴ぐらのように細い細い通路と、

狭い狭い寝床と、

ちょっと体の大きな人は通れないんじゃないかという

小さな小さな出入り口。


放蕩の若年期を過ごし、

その後清貧を極めたと言われる聖フランチェスコですが、

俗欲にまみれた凡人の僕に

何百年も後に伝わる気配があって。


でも、東洋人の僕に何よりも面白かったのが、

自然あるいはこの森を「無」に見立てているように感じられた点。


人間界の俗物を徹底的に可能な限り排除するために

何もない山の中へ入ったと

そんな印象だったわけです。


上っ面だけの紹介をするガイド本には

「聖フランチェスコが愛した自然が、、、」

的な書き方をしていたけど、

自然は愛でる対象ではなく、

そこにありながらもそこには何もない場を与えるものでしか

実はなかったんでないかと思えてならないのです。


人間の精神は自然物には投影されない前提がある

といったとこでしょうか。


かつて沖縄で訪れた斎場御獄(せーふぁうたき)を思い出しました。

こちら写真つきで紹介してますよ→ びっくりするほど懐かしい


この斎場御獄は人間の精神を映す鏡としての自然であるのに対して、

静寂の支配する森であることは一緒なのに、

アッシジのこの聖地は

人間にとっての森の存在価値が全く反対の

本当に空っぽの森。

空っぽであることに価値のある森。


もちろんこれはキリスト教について

ほとんどなんにも知らない僕が

勝手に抱いた印象を勝手に言っているだけなので、

その点は悪しからず。

でも西洋と東洋の精神性を映す鏡としての

自然観ってとっても面白いですよね。



食事室や聖フランチェスコの寝室等

建築空間的に大変面白い部分もありつつ、

それよりも上記のような妄想を広げ

大変楽しく過ごせました。


思いもよらぬハイキング?をしたかいがあったというものです。



帰りは下りの上、

実はグネグネカーブの車道をショートカットできる

けもの道レベルの道も見つけて

けっこうさくさくと下り、

一つ教会(サンタ・キアーラ教会、これも重要な教会)を見学し、

ホテルで夕食前の一息をつき、

雨の降りだした中、食前のビールをゆっくり飲む。


そして夕食は初日と同じ食堂で、

今度はセコンドから豚肉の焼いたのを注文。

これが格別に美味しかった訳でもないけど、

一日ひたすら動きまわった後の

ビールとともに食べるのはまた特別。


このディナーの最美味賞は

付け合わせのベイクドポテトだったことは

あまり大きな声では言いません笑




と、そんな一日。

この日も充実感とともにほろ酔いになり

ぐっすり就寝。