さて、締め切りの迫るさなか
夜は気分転換を、ということで
ロバートに誘われるままに
映画を観てきましたよ。

“Black Swan”です。
日本での公開はまだしばらく先のようですが、
チューリッヒではテレビでも
「話題作です!」という勢いで宣伝もされており、
劇場公開も始まってます。


話の核心に触れてネタばれさせるのも嫌なので、
極々抽象的な感想だけ、
備忘のために書き残します。
ほんの少しのネタばれも嫌とか、
他人の主観的な感想は聞きたくないという方は、
この先を読まれない方がよろしいかと。ごめんなさい。







人間誰しも多かれ少なかれ多面性を持っているもので、
何が本当の自分なのかと
自分自身に疑問を突き付ける準備が出来ていないうちに
自分の持ってる2面性をびりっと引き裂くような外的要因と出会ったら
一体どうなるのかと、
ざっくりストーリーの大枠はそんな感じ。

本人にとっても傍観者にとっても疑問になるのは、
今まで知らなかった自分って
本当にそもそもの自分に内在していたものなのか、
外部要因からの負荷が強すぎた故の
本来の自分ではない何か新しい自分なのか、
という点。

このラインのぼかし方の演出がとにかく圧倒的。
いや、もうちょっと正確に言うと、
こんな疑問が湧くのか湧かないのかというラインのぼかし方です。


鑑賞者はもちろん主人公の視点でストーリーを追う訳で、
混乱を極めていくナタリー・ポートマン演じるNinaと
波長を合わせるしかななく、
奇妙な出来事が奇妙であることは認識出来ても
その裏に隠されてる本質は見えない。

もちろんストーリーの先を読んで、結末を予想することは出来ますが、
そういう次元の話ではなく、
何が現実で何がそうじゃないかが分からなくなる演出が
ものの見事に観賞者の精神も絡め取ることになってるということです。

これがこの映画のとんでもない息苦しさを生んでいるように思います。

正直下手なスリラー映画なんかよりも
ずっと怖かった。
恐怖のあまりスクリーンから何度目を背けたかも分からない程。
中盤以降は気がついたら服の袖をぎゅーっと握って汗を滲ましてました笑



最後のバレエの本番の公演のシーン。
常識・良識・正気の一線を越えたパフォーマンスで
もう信じられない程のエネルギーが満ち満ちて、
金縛りにあったようにスクリーンに釘づけ。
途中感じていたNinaとの共感ゆえの恐怖心が
いつのまにか絶対的なカタルシスに変わり、
鳥肌と涙が。





全編通じてナタリー・ポートマンの演技が
とにかくとにかく素晴らしい。
名演というより怪演といったほうがふさわしいかもしれないくらいの
神が降りたかのような演技なくしては
この映画は成立しないといっても良いと思います。

表現あるいは表現者に興味のある方は
きっと深く感じるものがある映画だと思います。
でも性的な描写と痛々しい描写が結構てんこ盛りなんで、
そういうのが苦手な方はご注意を。


観賞後の疲労と興奮が消えぬうちに書いたから
何ともちぐはぐな文章ですね。
お目汚しご勘弁。


最後せっかくやから予告編でも貼っておきます。
日本用の物の方がインターナショナルバージョンよりも
ちょっとソフトな編集になってますね。