すさまじい疲労感も
この週末ゆっくり過ごせたお陰で
明日からまた元気よく働けそうです。
昨日土曜日は
ETHの隣のラボのベトナム人のナムさんに誘われて
彼の自宅でカレーパーティでした。
今ジュネーブにお住まいの日本人の奥さまアヤさんも見え、
その他EAWAGで出張研究をしている東大の方々も一緒で、
初めましてだったはずがそんな気もせず
楽しいディナーとなりました。感謝。
さて、初冬のスイス国内旅行記を続けますよ。
初日の様子はこちらをどうぞ→ 決してホテルの回し者ではない
9月21日(日)
リラックスのためのあらゆる手段を尽くして寝たおかげで
しっかり快眠。
爽快な気分で目を覚まし、
明るくなりつつある村を臨むベランダに出る。
到着時は既に日が暮れたから気がつかなかったのですが、
ホテルの目の前がこんな感じ↓
目の前にでーーーんと、アイガーが。
ご覧の通りの天候で、
この日の予定は天候次第と思ってたから、
朝食(美味)後にいろいろネットで調べながら計画を練り練り。
晴天ならユングフラウヨッホの上まで、
曇天もしくは雪ならクライネシャイデックから下るスキー、
という予定は組んでたんですが、
曇りは曇りやし雪は雪けどスキー場が開く程ではなく、
予定していた行程のどれも実行できなくなってね笑
結局せっかく山まで来たんやしということで、
ユングフラウ鉄道の始発駅の
Kleine Scheidegg(クライネシャイデック)まで
登山列車で登って見ることに。
標高1000mちょっとのグリンデルヴァルトから
30分に一本の列車で2-30分揺られて
標高2000mちょっとのクライネシャイデックに到着です。
オフシーズンながらも
車内はスーパー多国籍。
ユングフラウヨッホは
「スイスに来たならここは行っとけ」的な場所なので、
さもありなんと行ったところ。
クライネシャイデックに到着した時点で
なんとなく青空も覗きはしたけど、
駅員さんにユングフラウの山頂の天気の具合を聞いたら
「天気は最悪。何も見えんよ。」
ってことやったから、
結局世界でも有名な列車には乗らず笑
3454mっていう驚異的な標高まで電車で行けるんですが、
まあかなり良いお値段がするからね。
ちなみにユングフラウ鉄道は再来年で開通100周年(のはず)です。
きっと何かイベント事とかいろいろあるはず。
っていうか100年前の時点で
標高3400mまで電車を通したスイス人って
かなりの変態ですね!(もちろんポジティブにね)
肝心のユングフラウ鉄道はこんな感じですよ↓
手を振って見送ったら中の乗客に不思議な顔をされた笑
さて、グリンデルヴァルトに戻る列車は1時間後ということで、
クライネシャイデックの駅周辺をうろうろ。
ここでの見物は何と言っても
ちょっとガスってますが。。。
とにかく難しい登攀ルートということで有名だそうで。
過去、名誉をかけて幾多の登山家が挑戦して
たくさんの人たちが命を落としたそうで。
何年か前ドイツでも改めて映画化されてましたね→ 映画公式サイト(日本語)
ちなみに映画の予告動画観るだけでかなりの迫力です。。。
去年マッターホルンに行った時(→ ここ )も感じたのですが、
結局命を落としてしまうかもしれなくても、
挑戦してしまうといった雰囲気。
あくまでも想像の範囲ですがね。
実際の過酷さは多分想像をはるかに越えてるんだと思います。
観光客の我々は
気楽にふもとまで電車でたどり着いて、
ホテルのカフェからぬくぬくと壁を見上げて
「うわー凄いね。沢山人が死んだんだって。」なんてことを言うだけですが。
実際アイガ―が有名になったのは、
ふもとまでは割と簡単にたどり着けるから。
クライネシャイデックのホテルにて
報道記者がぬくぬくと待機して
リアルタイムでいろいろ世界に発信できたわけです。
山では登山者が亡くなるし、
それが簡単に報道され、
その壮絶なDeath or Gloryしかないドラマに世界中が引きつけられる。
そんな当時の報道陣よりも
更にひどいお気楽ぶりのせいで
こんなふざけた写真まで撮ってしまいました↓
アイガ―北壁のポーズ。
こうやってはしゃぐことに罪は無いけど、
自宅に帰ってこの山についていろいろ調べた後、
なんか言いようもない気分に。
別にここで亡くなった人に失礼とか
そういうわけでもないけど、
とにかく一般的な意味でのrespectを
何事にも忘れないでおかなきゃとか、
そんな気分にさせられたのでした。
という不思議なオーラを放つ魔の山アイガ―。
ユングフラウが天気悪くても
ここまで登って本当に良かった。