久々に、気持ちがグルグルと回った今日。
いろいろ積もった感情が嗅ぎとった
すっかり熟してしまった物事があって、
それに手が届く距離に自ら近づき
思い切ってわざと深々その臭いを吸えるだけ吸って、
処理することはおろか、
ただただ眺め続けることの不健全さなのです。問題は。
例えば今にも小蠅がたかりそうな熟れ熟れのバナナを
「あー蠅湧いちゃう」
と言いながら、ただ眺め続けるとか、そういうこと。
別に蠅が湧いたところで
不快なだけで命の危険はないんです。
でも、食べるタイミングを見誤ったら、
それなりに惨めな結果が待っているって、そういうこと。
食べる、捨てる以外の選択肢はないって分かってるのに、
そのどっちの行動も取らず
結局不快感だけを募らせているのって、
やっぱどう考えても不健全なのです。
閑話休題。
オランダ旅行記を続けますよ。
これまでの歩みは ここ とかをご参照くださいませ。
6月27日 午後
午前にアンネ・フランクの家を訪れた後、
路上のスタンドで買ったホットドッグを頬張りながらそぞろ歩き、
途中フラワーマーケットを冷やかし、
Rijksmuseum Amsterdam(アムステルダム国立美術館)へ。
ここでもフェルメールの絵が目当てでしたー。
数年前東京六本木の新国立美術館にて、
母とともに見た「牛乳を注ぐ女」と再会。
この美術館の所蔵品だったんですね。
東京では絵からちょっと距離があり、かつ、
えらく混み混みの状態だったので、ゆっくりは見られなかったんですが、
ここではタイミングによっては
ほとんど独り占めの状態。
今回フェルメールを合計9枚見たんですが、
驚くべきはそれぞれ筆致が違うということ。
(あ、風景画2点は同じ“匂い”を感じたけど。。)
言葉では説明できないけど、
どれもに微妙ながらはっきりとした差があるように思えて。
一作ごとに非常に長い時間をかけた画家は、
常に実験的な試みをし続けていたのかもしれないと、
勝手に妄想をしました。
しかし、既述の「真珠の耳飾りの少女」はもちろんながら、
「牛乳を注ぐ女」も大きな衝撃を受ける作品でしたね。
「真珠…」が滑らかな動きのほんの一瞬を切り取った絵ならば、
「牛乳…」は動きのない時間を永遠に引き延ばしているといった感じ。
絵の中に時間の流れを感じるのです。
なんとも、不思議な画家ですね。
これまで以上に興味を持つようになりました。
それから、この美術館のもう一つのハイライトは
レンブラントの「夜警」。
思ってたよりずーっとでかい画面にまずは仰天。
そして、なんとも緻密な構図に、
なんとも緻密な筆致。
これは確かにタダものではない作品。
でも、個人的にはハーグで見た「テュルプ博士…」の方が
鑑賞者との目線が同じレベルで描かれている気がして、
見てほっとできる作品だったように思います。
あー、ほんとはアムステルダムの
セックスビジネスについて書こうと思ってたのに、
結局なんだか健全な文面になっちゃいましたね笑
という訳で、夜のアムステルダムの話は
次回の旅行記をお楽しみに。
とはいっても、何も過激あるいは刺激的なものにはならないんで、
あらかじめご了承くださいませ。
期待をしすぎないでくださいねー。
最後おまけ。
アムステルダム中央駅から伸びる大通り↓
右奥に見えてるのが、
東京駅の手本になったとも言われる中央駅です。