さて、記憶が彼方へ消える前に、
記録を残しておこうと思います。
3月の日本出張期間の公式勤務期間2週間ちょっとが終わった後、
なんとなく心の隅で温めてた計画を実行することにしました。
実は長く寒いスイスの冬に飽き飽きしてた頃に、
南国の海と太陽を味わいたいなーとか思ってたのです。
で、仕事期間終わると同時に航空券をチェック。
サクッと予約して沖縄4泊5日の旅に出てきました。
出発の2日前に飛行機押さえて、
前日に車と宿を押さえるっていう、
ものすごく行き当たりばったりな感じでね。
しかもなにするかとか一切考えもせず。
とにかくドライブして、
海見て、
いろいろその時抱えてたもやもやをサッパリ忘れたかったということで。
出発の日、まさかの大失態。
うっかり、出かける時間に併せて目覚ましをかけてしまってた。。。
それでも奇跡的に目覚ましのなる20分前に勝手にめざめたおかげで、
その20分でできる身支度をして、
朝6時の猛ダッシュで出発と相成りました。
無事に飛行機には乗れて、
特に問題もなく那覇空港に到着。
空港の売店で沖縄の道路図を購入。
しばし地図を眺め
いかにこれまで沖縄の地理を知らなかったかを痛感笑
とにかく予約しておいたレンタカーを手に入れ、
程良く空腹のお昼時だったので、
レンタカー屋のお姉さんのお勧めの沖縄そばの店へ。
これが道幅のおそろしく狭い住宅地の分かりにくい場所で、
出発して早々に難所。。。
それでも峡路は不思議と運転得意なので、
根拠のない道路の勘を頼りに
無事そば屋を発見。
1年以上の運転ブランクの後だったもんで、
美味しいそばを頂きながら
ゆっくりの一息ついて、この日の行程を地図を眺めながら思案。
那覇から東へ走り南城市の斎場御獄(せーふぁうたき)、
那覇へ戻り高速道路に乗る前に首里城に寄って、
高速北上、沖縄市は胡屋にある宿へ、
というルートに設定。
という訳でまずは斎場御獄(せーふぁうたき)。
御獄とは沖縄の古来の民間信仰の祈祷所のことで、
王朝の祀り事の主な御獄として使われていたのがこの斎場御獄だそう。
自然信仰が根っこなので、神が宿っていそうな雰囲気の自然といったところ。
この先に広がる海の光景。
各祈祷所にはこんな具合の香炉が並んでいます。
すごくプリミティブな造形でぞくぞくします↓
確かに不思議な自然の造形の溢れる場所でした。
けど、現代人の感覚からしたらちょっと迫力に欠けるものがあるのかも。
そんな自然にエネルギーを見出してたかつての琉球人たちは
ものすごく澄んだ感覚を持ってたのかもといった印象。
少なくとも自然と接する文脈が決定的に現代人と違っている気がします。
続いて首里城。
見た目に石造りの城壁と木造の小屋の重量感の対比されていて、
なんか小屋が壁の上に浮いているような印象。
台風をもろに食らうエリアで、
一体壁と小屋はどうやって接合されているのか。。。
この古びかたってことは、
結構長い間ここにあるはずですよね?
とにかく他では見たことない建築的解決で、
非常に興味深いです。
そしてこちら天守閣(と呼んでいいのかね?)↓
左半分は外装の修繕中。
この広場は、回廊と向かい合わせの門&天守閣に囲まれてるんですが、
不思議なことに天守閣と門が真正面に向かい合わず、
中心軸が意図的にずらされていました。
こちら天守閣から門へ伸びる道の始まる地点↓
門に対して直交する道なのですが、
天守閣側に対してはこんな具合に直交せず。
何故???
落ち着いたトーンの朱が基調。
そこに金色やら他の彩色ですが、
これが何とも堂々とした雰囲気を醸していました。
いや、堂々と言うか、
低めに抑えられた天井高も併せて、
何やら淫靡さを湛えた威厳とったところか。
全体を通じて、
戦前戦中の激動を経て、
エリア内のたいがいの構造が再現ではあるのですが、
それでも面白い発見の溢れる場所でしたね。
各建物の屋根とかは朝鮮半島とかでもよく似たものを見れるんですが、
城壁の造形とか、今まで触れたことのない感覚の形が溢れていて、
たくさん刺激を受けました。
と、興味深い物にたくさん出会えた初日。
夜は宿の近くの居酒屋で、
地元出身の大将とおしゃべりしながら
地魚(イラブチャー等々)やら、沖縄料理を美味しく頂き、
満腹満足のまま就寝したのでした。