日本に一時帰国して、あと数日でアメリカに戻りますが、その間に日常生活で感じたこと、気づいたことを書き記していこうと思います。
まず、日本に帰ってくる前にカリフォルニアにあるUCLAという大学でプレゼンテーションを行ってきたのですが、そこで全体的に感じたことは、文化間のメディア比較が今文化心理学界でホットになってきているのではないかということでした。
そして今回とても興味深いと思っているのは、アメリカと日本の広告の違い。
僕は日本とアメリカのものの説得の仕方、主張の仕方の一番の重要な違いとして、「(アメリカは)客観的であるのに対し、(日本は)主観的である」ことがあげられると思っています。
ものすごく噛み砕いて説明してしまうと、アメリカのような低文脈文化といわれる文化では、人と人とがコミュニケーションする際に、共通するバックグラウンドが少ないために、説得するために客観的で論理的な視点がどうしても必要になってくるのです。とくにアメリカのような移民国家では、たとえばアジア人が白人にアジア人の視点で「僕はこう思うからこの商品がいい」と主張しても、白人側としては、もともとバックグラウンドの違うアジア人の主張は主観的なので説得力に欠ける、ということになるでしょう。だから、もっと客観的な視点が低文脈文化圏には必要になってくるわけです。
一方、日本のような高文脈文化といわれる文化では、もともと人はみんな同じようなバックグラウンドを持っていることが前提としてあるわけで、「僕はこう思うからこの商品が良い」という主観的な主張でも十分となるケースが多いのではないかと思っています。日本のような狭い島国では、全員日本人で、全員が同じ教育を受け、全員がおなじテレビを見て育ってますから、「あなたと私は根本的に違う」という低文脈文化特有の前提がないのです。
主題からは少し離れますが、低文脈文化の言語(英語)はコミュニケーションの際に情報量が多いのに対し、低文脈文化の言語(日本語)は情報量が少ないと言われています。日本語圏に住んでいて英語圏にも住んだことがある人ならば、日本語はなんでこんなに曖昧で英語ははっきりしているのかと思っただろうと思います。それは、こういうことが原因であるからではないかと言われています。
それでは、このような文化的価値観が広告にどのように表れているのか検証してみようとおもいます。
これは、アメリカのキンドルのコマーシャル動画です。
キンドル米国版
面白いことに、アメリカにはこのように「他社と比較して自社の製品はどれだけよいか」という手法がとても多いのです。つまり、比較することによって客観的にどう自社の商品が良いのかを示すことができるわけです。中には他社の商品をコテンパンにやっつけるような宣伝もたまに目にします。しかしそれも、比較することで客観的なデータを示したいがためでしょう。
このような手法は、日本の広告では、ほとんど見られないのではないでしょうか。
日本版キンドル動画
もちろん、日本では他社のことをけなすようなことはしてはならないというモラル的なことも絡んでくると思いますが、なにかと数字で比較して説得するという論理的な手法はなかなかどの広告にも見られないのです。僕はこれは、日本人のモラル観よりも高文脈文化の特徴が反映されているのではないかと思います。
では、論理を使わなくても良い日本ならではの宣伝の仕方はどういうものがあるんでしょうか。
日本にいてひとつアメリカとは決定的に違う、コマーシャルの手法に目が止まりました。
前田敦子 レ ミゼラブル
僕はこれを見て、「なぜ映画とは関係のない前田敦子をわざわざ起用して宣伝するのかな」と思いました。これは、日本人特有の権威主義的なところもあるのではないかと思うと同時に、誰もが知っている有名人を起用することで映画のイメージをアップしようとしたのではないでしょうか。さらに、こういうたぐいの宣伝に、「なぜそれが良いのか」という論理的な視点はほぼ存在しません。
アメリカでは普通、映画の宣伝といえば制作に関わった役者や監督が宣伝する場合がほとんどで、第三者にわざわざ出演料を払って宣伝してもらうということはまずないのではないでしょうか。
映画の宣伝を除くアメリカの多くのコマーシャルでも、先ほど例にだしたように、なぜ自社の製品が良いのか具体的に数字で出して説得する論理的な方法が多いのに加えて、有名な芸能人を起用しているコマーシャルはほとんどないです。
おそらくそれは、客観的で論理的な視点を重視しているのと同時に、アメリカのような広く、人々がそれぞれ価値観も違う低文脈文化では、万人が支持するであろう、共通の知名度が高い芸能人はいないのではないか、ということが理由に挙げられると思います。
ですから、日本ではみんな同じテレビを観て、価値観も似通ったもの同士になりやすい高文脈文化では、論理で説得するよりも知名度の高い芸能人を起用したほうが話が早いのです。日本のコマーシャルや広告で、「有名ではない」人を探すほうが難しいのではないでしょうか。
つまり、広告をはじめ、低文脈文化と高文脈文化では客観的、主観的な視点によって説得の仕方、宣伝の仕方が違うのではないか、ということを一時帰国中に強く感じたのです。
少しアカデミックな内容になってしまいましたが、普段はラーメンと米ばかり食べて完全に下町野郎と化しました。
残りの日本での生活は、あまり分析しすぎるのをやめて、論理とは離れた良いところをまた感じていたいと思います。
