2006年トリノ五輪(オリンピック)男子の銀メダリストが36歳になりました。

スイス・マルティニで生まれ、7歳でスケートを始めた後はジュネーブやローザンヌを拠点に練習。スイス選手権は15歳だった00-01年シーズンから8連覇を達成しました。

 

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2010年全日本選手権エキシビション

 

五輪は02年ソルトレークシティ大会が初出場。15位の悔しい結果となりましたが、4回転ジャンプやトリプルアクセル(3回転半)を習得するにつれ、成績も向上。05年には世界選手権で初優勝を遂げました。スイス勢としては58季ぶりの快挙でした。

翌シーズンはグランプリ(GP)ファイナルも初制覇。勢いそのままに臨んだトリノ五輪では、ショートプログラム(SP)3位から、フリーで4回転トーループからの3連続ジャンプを跳ぶなど、ロシアの皇帝エフゲニー・プルシェンコとに次ぐ銀メダルをつかみ男泣きしました。

大会後の世界選手権ではスイス勢初となる2連覇を達成。世界的人気を博す選手になりました。翌07年に東京で行われた世界選手権にも出場。このシーズンはモチベーション低下や体調不良などもあって欠場を重ねていましたが、3連覇こそならなかったものの銅メダルで健在を示した姿は日本のファンの記憶にも強く残っているのではないでしょうか(銀メダルは日本の高橋大輔でした)。

この大会、SPで失敗した3回転半をフリーでは成功させ、当時の報道によると「終盤は会場の視線を独り占め。演技が終わった瞬間、客席からはスタンディングオベーションが起こった。昨年11月のスケートカナダ以来、本格的な実戦からは遠ざかっていたが『SPの状態では、誰も私がカムバックできるとは思わなかっただろう。だから今夜の演技は重要だった』と笑顔で話した」ことが伝えられています。

10年バンクーバー五輪では、銅メダル高橋と僅差の4位。大会後の3月に引退し、プロスケーター、指導者に転じました。現在は日本の宇野昌磨、紀平梨花、島田高志郎らを教えていることでも知られ、昨年12月の全日本選手権では来日してリンクサイドで見守りました。今後も日本選手との関わりが期待されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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