あの日

病棟勤務中にいきなりスゴイ揺れに遭遇


揺れはどんどん大きくなりその場から動けないほどの衝撃的な揺れ


経験の無い出来事に

どこで?どこの地域で起きてるの?

スゴイ大変なことが起きている!

とまさか自分の住んでるところで地震とはつゆほどにも思っていない脳天気な自分がいた


私は病棟の廊下にいた

手すりにつかまり揺れがおさまると

担当していた病室をすぐ見回る


その途中でまたもスゴイ揺れ

この揺れが大打撃


個室にいた私

重さ何キロもある椅子がいとも簡単に動き病室の扉を塞いだ

点滴棒は見たこともない振り幅で揺れる

抜けたら出血大変と処置にかかろうにもベッド揺れ私も凄まじい揺れで掴まって立ってるだけで精一杯

消灯台や処置棚から落ちる落ちる物


揺れがおさまり患者の容態確認し点滴やその他のに異常ないか確認

病室の外に出ようと扉に手をかけるも開かない

全然開かない


このまま死ぬのかと患者と共に死ぬのかとあの揺れの中、何度も頭を過った事が現実になるのか

そう思ったらもうパニック


前にも書いた椅子が扉を塞いで開かないことなどもう思いもせず気もまわらない


気付いたときには休憩室で頭から袋を被ってた…情けないが過換気になり同僚に助けられていた


ただでさえ、大変な揺れの後なのに…スタッフである私が助けられるとか迷惑だろにね


で、その後すこーしだけの記憶の欠片を残して震災の記憶はまるで無し


その日以降の勤務や家では誰とどう過ごして日常に戻ったのか、全く記憶がなくて覚えてないしこの13年思いだしたこともない


私が経験し語れる3.11はのくらいしかない

全く語ることにも満たない記憶の欠片のみが残る


10年が経過した頃やっと津波の映像も冷静に見れるようになり、緊急地震速報や携帯のアラーム音にも慣れてパニックにならなくなった


あの日以降の記憶は無いけど、流れてくる地震速報や少しの揺れで簡単にパニック状態に陥るようになり休職ののち一日も復帰できず退職したことは真実(日記を見返したら上司の罵りや馬事雑言が酷かった…トラウマになりそうなので日記は捨てました)


ワタシの知る

ワタシの記憶の3.11のお話し

(あと少しの記憶の欠片はゴメンナサイ省きます)