Bad habits are like a comfortable bed; easy to get into but hard to get out of.
英作文の例文集にあった言葉です。
見た瞬間に「なるほどな・・・」って感心したのと同時に、これは日本人が作った文章じゃないな、という風に感じられました。
で、インターネットで調べてみたところ、やはり外国での格言のようです。
これは別に論理的な分析してそう感じた訳ではなく、何となく日本人にはない発想であったからです。
「何となく日本人にない発想」・・・例えを挙げるとすれば、「日本人はベッドで例える発想がない」というのもそれに入りますが、そうではなくて、もっと根本的なところにある気がします。
この格言を作った人が、「Bad habits」というのを煙草や飲酒などの「個人としての悪習」という意味で書いたのか、それとも、閉鎖的で排他的な「共同体としての悪習」という意味で書いたのかは分かりませんが、僕は後者で解釈しても面白いのではと思います。
というのも、日本人は結構「Bad habits」に入り浸りしてそこで安住する傾向にあるからです。
別に日本人特有の共同体の性質を批判したいわけではないです。
(僕自身日本の共同体について論じた文章は入試現代文でぐらいしか読んだことがないですし。)
単純にこの諺が「和と伝統」を重んじる日本人の精神からはあまりに生まれにくい言葉であろう、ということです。
まぁ「排他的」と言ってしまうと、「easy to get into」の趣旨から逸れるので、やっぱり前者の意味合いなんだろうな、とは思いますが、日本人の共同体の性質として「簡単に入れてしまうが、なかなか出にくい」というのは否定できないと思います。
共同体としての習慣から抜け出してしまうと、共同体の和を乱すからです。
まず、日本人は「共同体の和」を大事に考えます。
こういう「和と伝統を重んじる精神」をもつ日本人からは、そもそも「それがBad habitsである」という発想すら生まれないでしょう。
もちろん、この保守的な態度は、日本人の良いところでもあると思います。
例えば、日本人は礼儀正しい、と言いますが、これはある意味で「Good habits」が日本全体として植えつけられているからです。
まぁでも正直言って一口に「日本人は・・・」と言っても、どのくらいの礼儀を身につけているか、というのは共同体によってマチマチでしょう。
したがって日本全体としてではなく、共同体単位で、「Treat with courtesy」という「Good habits」が、浸透している結果と言えるでしょう。
日本人の共同体内での「(良かれ悪かれ)Habits」に対する執着は、何も悪習だけではなく、良い習慣にも言えるのです。
こういった習慣から抜け出すことは、共同体の和を乱すことになります。
和を乱さない方が安静にしていられる。気持ちよくいられる。
だから、むしろ「習慣から抜け出す」事の方が、ともすれば日本人にとってはよっぽど「Bad」になるのではないでしょうか。
すなわち日本人にとって、ずっとその習慣に浸っていることの方が、「comfortable bed」のように心地よく感じられるわけです。
そしてその意識は、円はその外部から初めて接線が引けるようになるのと同じように、このような「外部の価値観」からくる諺に出会って初めて認識することができるものと言えるでしょう。
結局英語とは無関係で抽象的な話になってしまいましたし、本当に言いたいことを表現できてない稚拙な文章になってしまいました・・・。
自分はどうもこういったちょっとカタい話を文字に興すのが苦手です。
頭の中では考えていても、いざそれを文字にすると上手く伝わらないものですね・・・。
まぁでも、たまにはこういうのも頭の整理になっていいんじゃないか、と思います。