あ~ | Bein' aware of wisdom

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高認取って大学受験した人のブログ

つまらない。

特に、テレビが。


自分は基本的に勉強をするときはテレビや音楽など雑音を流しっぱなしにしてないと集中できない人間なので、何かつけていたいのですが、テレビはその役割を成さないですね。


まぁ最近はというとテレビをつけっぱなしにするだけで、あまり見ないのですが、やっぱり見返してみると全然面白くない。

(野球ファンなので、野球中継だけは見ますが・・・。)


かといって「昔は面白かったのか?」と聞かれた、必ずしもyesとは言えないのですが・・・。

なのでこれは懐古的態度ではないと個人的には思っています。


おそらく昔は純粋だったので何でも楽しめたのだろう、という風に個人的に結論を出しています。

とにかくテレビに写っていることが真実だと思っていましたから。



インターネットが普及して、かつての「受身」的だった情報収集から打って変わって、個人による情報の選択性が格段に増している現代社会で、同じようにテレビを見ると興ざめするような人間は、他にも多くいるみたいです。


「情報を自分で選んで取捨選択する」という態度が当たり前になった現代人(特に若者層)にとっては、スイッチを入れると不可逆的に流れてくるという形での情報収集というのは、非常に不愉快になるのかもしれません。


「嫌なら見るな」という一意見によってこの議論には終止符が打たれるわけなのですが、そうなると議論を出してきた連中は、「テレビそのもの」よりも、「テレビに心酔してしまっている人間」を批判の的にするようになります。

つまり、ここで限って言えば「嫌なら見るな」という発言をする人間そのものを批判するわけですね。


そのような人間を形容する類義語として「ミーハー」というものがあるわけですが・・・。




一応僕もどちら側の人間かと言えば、そういったテレビに心酔し、テレビから流れてくる流行などを信じ込む人間を「ミーハー」だの何だのって軽蔑したがる方だと思っています。

が・・・、この「ミーハー」の定義は、本当に正しいのか、と思うこともあります。



「インターネット」を21世紀の流行として捉えるのならば、「流行をむやみやたらに追いかけている」という点では僕たちも「ミーハー」であると言えます。

テレビや、それに心酔する人間を卑下するあまり、「インターネットの絶対的優位性」を頑なに信じ、インターネットから取り入れられる情報は全てが正しい。いや、少なくとも「テレビよりかは正しい」という信念が、無意識のうちに植えつけられているようにも思います。


かといって「テレビのほうが正しいことが多い」とは全く思いませんが、ここまで議論が辿りつくとき、先述した通り、「ミーハー」の定義があやふやになることがあります。


結論付ければ、逆説的に、「どちらもミーハー」であると言えるのかもしれません。



我々のインターネット上の情報収集における選択的透過性とは、果たして本当に公平にジャッジし得る情報-すなわちテレビから流れる情報よりも遥かに優れた情報-を得ることができるものなのか、という疑問も浮上します。



ここで議論しておくべきなのが、どのような場合においても、「選択性」=「客観性」が成り立つか、ということです。


「情報の選択性の多様化」と言われると、まず第一印象として思い浮かぶのが、「発信者の主観によらない、公平な情報」というイメージですが、「発信者の主観によらない」というのは正しいとしても「公平である」かどうかは疑問符がつきます。


すなわち、今度は「受信者の主観」が問題になってくるのではないか、ということです。



情報が選択できることによって、自分にとって有益であったり、都合のいい情報ばかりを収集する癖を覚えて、反論意見に耳に傾けようとしない。

それに助長され、あらゆる側面から、偏ったイデオロギーが生まれやすくなる。


これは自分を含めネットユーザーの多くが陥っている状況ではないかと思います。


(ですから、情報選択性に富んだネット上ですら、反論意見に耳を傾け、しかるべきときにそれを取り入れ、また、反論していく態度を持った人間というのが、ある意味で本当の"情報強者"と言えるかもしれませんね^^;)



そうしたイデオロギーが、ネットというある意味で閉ざされた"ムラ社会"でのみ蔓延するならば、それはそれで放置できます。

が、いずれテレビの時代が終わるかもしれません。

「発信者の主観的情報」を象徴するテレビの時代が終わったら、今度は「受信者の主観的情報」が象徴する時代へと移り変わっていく可能性もあります。

そのときに、そのイデオロギー達の蔓延が果たしてどう転ぶか、というのは、あまり予想のしにくいところです。


あえて言うならば、世界が、絶対王政の時代から、民主主義の時代へ近代化していったように、進んでいく可能性もありますね。



「情報化社会」という時代にあって、我々が情報面でどう進んでいくべきなのか。

それは、最早議論しても手遅れなのかもしれません。






・・・・と、テレビがあまりにもつまらないので、暇つぶしに"それっぽい"文章を書いてみました(笑)

なんか国語の評論でありがち?な難解な語句をわざと使ったりしてね。

え?「テレビがつまらないのに、テレビよりつまらないこと書いてどうすんだ!」って?

すいませんでしたww



で、結局何が言いたいの?っていう感じですが、まぁ


ネットに心酔した「ミーハー」な人間が、テレビとネットの現状に板ばさみになっている状況で取りとめのないことを考えてみた。


という感じですw