「俺は東大生だぞ」駅員に暴行 | Bein' aware of wisdom

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高認取って大学受験した人のブログ

アメーバのニュースに掲載されていた見出しです。


反対側のホームへ線路の上を渡りながら行ったところ、駅員に注意されまして

「俺は東大生だぞ」「お前らとは格が違う」などと罵声を放って暴行したそうです。



勉強を頑張っている自分としてはたとえ志望校でないにせよ、残念なニュースですね。


東大に通っている人にもこういったアホがいるってわけでしょう。

ただ、一番気の毒なのがこれによって迷惑がかかる他の現役東大生です。


世間の目は冷たく、安易なものですから、1人こういうことをすると


「なんだ、東大ってこんなもんか。」

「東大生って勉強はできるけど常識ないんだね。」

「学歴がいい奴に限って人間性はよくない。」


といったきつい批判がコメントに寄せられていました。

中には

「偏差値が高いだけで本当の意味で頭の良くない人間が沢山います」


などと喧嘩腰で、誰も聞いていないのに一方的に"頭の良さ"の優劣をつけるコメントも見受けられました。

(要は「自分は偏差値は低いが本当は頭がいいのに誰も分かってくれない」という自己顕示の表れでしょうか。)



1つ僕から釘をさしておきたいのが、


「東大生が恒常的にこういうことをする。」というよりも、むしろ

「こういうことをしたのがたまたま東大生だった」というだけに過ぎないと思います。


他人に暴行して捕まるのは東大生だろうが中卒だろうが沢山います。

それをいちいち揚げ足とって東大を叩くのにはちょっと疑問符がつきます。


そこに在籍していた生徒の中にたまたま自分に驕る傲慢な人間がいたというだけの話です。

その人間が批判されるのは然るべきですが、残りの東大生全員が批判されるのはあまりに気の毒です。

(社会的現象としてそういうレッテルが一方的に貼られるのが仕方ないのは分かっていますが・・・)


これは、東大生だろうが高校生だろうが同じです。


例えばとある高校の名門野球部が飲酒・暴行などで捕まったりしても、悪いのは当事者の野球部員数名であって、その高校に通う全生徒が悪いわけではないということですね。



もちろん"勉強や芸術、スポーツの才能"と"人間性"が必ずしも一致しないのは当然のことですが、東大生にも勉学だけでなく人格が優れている人もいるはずです。


自分の親を養いながら苦学して東大に入った方を知っていますが、やはり苦労して入ったということもあり人の痛みの分かる優しい方なのだという話を聞いたことがあります。


むしろ東大で優秀な人ほど、「東大ブランド」をひけらかすような真似はせず、謙虚な人が多いと思います

(東大法学部の方が書くブログを見たことがありますが、文面で察するだけでその方がとても謙虚な方だということが分かりました。)



東大生が善行をしようとも、世間では「それが当たり前」と見なされているので、誰も褒め称えたりはしないでしょう。

逆に東大生が悪行をすると、世間では「東大生ともあろうものが」というスタンスでかかっていくので、批判も痛烈です。



悲しいかな、世間のレッテルとは、まるで累進課税のごとく降りかかってくるものですね。