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最近、フローという言葉が頭の中で明滅している。と、そんなことを思っていたところに古本屋でハイパーメディアクリエイターの高城剛さんの本を立ち読みしたら、そこにフロー型ライフスタイルのススメみたいなことが書いてあった。これからはストック型ではなくフローだという。おれはなぜかその一文だけ読んで納得して本を閉じて店を後にしたのだが、家に帰りよく考えてみると、フローとかストックとかよく知らなかったことに気づいた。
ただ何となくその語感だけで納得しただけで、特に考えた末に辿り着いた結論ではない。とにかくこれからはフローなのだとなぜか感じている。
で、ウィキペディアとかを見ると(確かウィキペディアだったと思うが面倒なので再確認はしません)、フローの比重が大きいということは自転車操業みたいなものだとある。
そうなのか。そう言われるとちょっとイケてないなと思いながらも、「フロー!」が頭の中でエコーしている。
ノートに「フロー」と書いてみる。Flow…不労…不老…浮浪…チラッと視野の隅にフーテンのトラさんの幻影が過る。
しかしどれもなかなか魅力的な言葉ではある。
そう言えばここのところ必要最低限のモノがあればいいのではないかと思うようになっている。これはどういうことなのか。
少しだけ考えて、自分は幸か不幸か、ハイパーメディアクリエイターなる職業に従事していないので、誰かに納得してもらう必要はないので、自分はそう考えているようだと納得することにした。自己認識は大切だ。
で、特に結論めいたことはないのだが、唐突に、経験ということを思う。エクスペリエンスだ。この語は何かを通過していくというところから来ている、と思う。まあ「ex-perience」というスペルを見ただけのことだが。「何か覆われたものから出る」ことを経験と言うのなら、そこに留まる限り経験は起こらないのではないかと。それを通過して始めて経験したという…つまり、フローじゃないですか。
と、いうことはおれは「経験」したいのだとやっと気づく。何を?と問われるとよく分からない、色々、かな?と答えるしかないが。
そんなわけで(どんなわけだと突っ込まないで欲しい)、おれは最近、無常観とは実にポジティブな人生観ではないかと密かに思っている。