幼少期編から思いついた順に書いていきます。人生語りは丁寧語はやめて文を書きますのでお願いします。ではどうぞ。
一番古いギャンブルにまつわる記憶というと9~10歳ほどの頃だろうか。
物心付くころから父親はパチンコが趣味で休日はよく通っていたように思う。しかも当時は母親も一緒にパチンコに通っていた。これはなぜかというと、父親を一人でパチンコに行かせると際限なくお金を使ってしまうのでパチンコに行くときは母親も一緒に行くという(本当はパチンコを禁止したいが全て禁止は可哀想だから一緒ならOKという微妙な情けもあったらしい)、今思えば不思議な理屈で両親は休日にパチンコに出かけていた。
当時幼かった私と妹を家に置いていくわけには行かず、一緒に連れ立ってパチンコ店に入っていた。ちなみに18歳未満の入店は法律で禁止されているので良い子は真似をしないように。しかしながら、子どもの私達は玉を打つわけでもなくすぐに飽きてしまう。そこでパチンコ玉を拾っては親に届けたり、景品を見ては胸をときめかせたり、駐車場で遊んだりしていた。特にパチンコ玉拾いに関しては、他にやっている子どもも意外にいた。そういう子を見かけると、「あぁ、あの子もか」と同情すると共に、妙なライバル心を燃やしてその子には負けないようにせっせと玉を運んだものである。
時には車中で親が終わるのを待つこともあった。一歩間違えば、お昼のワイドショーで見かける、親がパチンコ中に社内で子ども死亡!というニュースの仲間入りだったわけである。
しかし、当時の私は親のギャンブルをそれほど気にしてはいなかった。むしろ勝った日は景品でゲームや映画のビデオがもらえるとあって、パチンコに行くというとワクワクしていたものである。子どもとは意外に適応力が高いものである。そのため幼少期にギャンブルで困ったという思い出はあまりない。だが、小学生にして確変や時短という言葉を理解する何とも可愛げのない子どもに育ってしまったことは弊害と言えるのかもしれない。
