とある理由から、介護をなさっているご家族方のブログに目を多く訪れております。
すべてのブログ、すべての記事を読み通せればいいのですが、
そんなことはできないのですがしょぼん

ブログを書かれている方の多くは、
ほんとに大変な思いをされているようで、
読んでいると、本当に、気分が重くなるというか、なんていうか
このままではいけない、と思わされることがたくさんありました。

不安と、苛立ちと、怒り、悲しさ。
切なさと虚しさと愛。。。

人間のすべての感情が入り混じったような、そんな印象を受けています。
その中でやはり感じてしまう疑問。

"本当に高齢者介護は在宅へシフトすべきなのか?"

という疑問。
もう3月から介護福祉士として働くことが決まっている私が
こんなことを言っていいのか、と非常に疑問なのですが、
でも在宅介護で苦労なさっているご家族の内情を知ると、
そういう疑問が消えないのです。
(強制的に施設に入れてしまえ!という意味ではないです)

前回の記事でも書きましたが、
在宅介護において、24時間ご家族が要介護者を見守るなんて不可能です。
ご家族もご家族の時間がありますし、介護のために生きているわけではありませんよね。
でも在宅介護を利用するとなると、
ご家族の希望する時間すべてをカバーできるか、
というとそうではありません。
訪問介護、通所介護、短期入所、すべてをうまく駆使したところで
どうしてもご家族の力が必要になってしまう。

そもそもですよ、
核家族化が進み、
単独世帯化が進み、
皆が学校へ行き、仕事へ行き、バイトして、残業して、
自分の生活をするだけでも大変なのに、
他の人間の生活を見る余裕をすべての人が持っているかといえば、
そうではないと思います。
気持ちでカバー、とか家族全員でフルサポート、とか
そういうことできるご家族はいいです。
けれどそういう家族ばかりでないこともたしか。

それを避難する気持ちはまったくありません。
私も仕事は介護だけど、家族の介護はしたくありませんし(ぁ

要介護者が悪なのではありませんし、
面倒をみれない家族が悪なのでも決してありません。

家族といえども他人ですもの。
そして他人じゃなく家族ですもの。

仕事だから、と割り切れば
笑顔だって作れるってものですよ、私の場合。

だけど家族ですもの。
生まれてから今まで、家族と家族外の人と、一ミリたりとも
態度が変わらず接してこれた、という方、います?

家族だからこそ、
憎らしいし、苛立つし、だけどほっとけないし。

そんなものだと思うんです。
だから怒鳴りたくなる、殴りたくなる。
だけど怒鳴れない、殴れない。
だからもっと苛立ちが大きくなる。

葛藤の悪循環。

それを解消するためには、やっぱり第三者、我々介護従事者だと思うんです。
もちろんご家族に事情によりそれぞれですよ。
訪問介護でその苛立ちをセーブ出来る方、
通所介護でセーブ出来る方、
短期入所で...
と個人差があります。

その家族の個人差こそ、重要視すべきなんじゃないかと。

そして家族が苦しくなったら
すぐに施設だろうとなんだろうと利用できるようにすべきなんじゃないかと。

「ずっと施設に預けるのはちょっと…」

というご家族がいるかもしれません。
なら短期入所をいつでも利用できるようにする。

そもそも
「親の面倒は子どもや家族が見なくちゃいけない」
なんて社会通念、どうにかしましょうよ!
血縁が運命共同体だなんて、そんなの、やるせない。

親だろうが兄弟だろうが他人は他人。
親が子どもを面倒みるのは義務ですが、
子どもが親を面倒みるのは果たして義務なのか?

高齢者虐待防止だとか言っておきながら、
子どもや家族のストレスが発散できない現状。

僕は高齢者大好きドキドキっていう人間ではないので、
はっきり言わせてもらうと、
あと何年生きるかわからない高齢者よりも、
まだまだ人生の残っているご家族こそ支えるべきなんじゃないかな、と
思ってしまうんです。
冷たい奴です、すみません。
(高齢者は早く去ね、って言っているわけではないですよ。度合いの問題です)

高齢者も大事にする。
だけど高齢者を囲んでる家族をもっと大事にしましょうよ。

介護福祉士的には、そんなこと言うと怒られるんでしょうけど…。

ご家族が、
「今日、なんとなくイライラしてるから短期入所させたい」
と思ったらすぐに泊まれるくらいのキャパが必要なのでは?

「家で一緒に暮らすのは無理だけど、家からすぐの施設にいたら会いにいける」
くらいの施設があればいいのでは?

お金かかる...
お金かかるよ、そりゃ...

だけど本当に"幸福"という意味の"福祉"を実現したいと思うなら、
それくらいしないといけないと思うの。
それこそどこぞの予算を削ってでも。

そういう気がないなら、ハナっから完全な福祉を目指すなんて言わないでほしい。
中途半端はいろんなところがギスギスするから。



と、好き勝手書き放題だけど、
ほんとに、ご家族を支援できるようにしたいんです、私。
ご家族の苦労した話を聞けるようにできるだけでもいい。
「ほんとに大変ですよねえ」と頷けるだけでもいい。


「今日、一晩泊らせてもいいですか?」
「はーい、どうぞー」

そんな気軽なことができたのなら、どんなにいいことだろう。

小規模多機能がそれに近いらしいが、
いつ泊るか、わからず採算がとれないから普及しずらいらしい。

採算とかいってる場合かっ!!

重要なのはそこだろ!!


華やかな五輪の映像を見るたびに、
これに使う予算が介護の予算に来れば…とか
そんなふうに思ってしまう自分がいやだ。

だけど、それくらい介護現場、お金がないの。
もちろん儲けてる法人もあるらしいけど。



ふぅ。。。。。。。




ご家族の方々、
ほんとによく頑張っていらっしゃると思います。
つらいと思います。
そのつらさ、少しでもわけていただけるよう頑張ります。
介護福祉士、頑張ります。
今さらですが昨夏の話題。

認知症で電車にはねられ遺族に720万円賠償命令

という話題ですが。

僕もこの判決にはすごい疑問というか、やるせない気持ちです。

「同居の妻が介護ヘルパーを依頼せず、目を離したすきに男性が外出した」こと
「別居の長男も、事実上の監督者であるにもかかわらず、
徘徊防止の適切な措置を取らなかった」こと
「男性は常に目を離さないようにしていなくてはならず、2人の過失責任は免れない」

あくまでも僕は法の知識はまったくないので。
介護に携わっていくものとしての意見ですが。

同居の妻が介護ヘルパーを依頼せず」という文面から見るに、介護サービスを利用していないことに落ち度があるみたいな言い分です。
そもそも介護サービス利用は義務でなく、権利であるはずですよね?
介護サービスを利用するのもしないのも本来であれば本人・ご家族の自由であるはず。

それなのに「利用していない=24時間見守れる」みたいな解釈をされていて、非常に残念。
そもそもですが一人の人間を24時間一秒も逃さず見守ることが可能ですか?
一人の人間を見るためには、労働時間を基準に考えて「見守り役1人につき8時間まで」としても3人必要なんです。そして例えば見守り役がトイレに行こうものなら、その間別の見守り役が必要になる。となるともっと人が必要になる。
もちろんそんなの不可能ですよね。

介護施設も、もちろんそんな人員はいません。
50人の利用者に対して、夜勤は3人、なんてのも普通だと思います。
もちろん昼間だって50人の利用者に対して50人の職員がいるわけもないです。

そして介護ヘルパー(訪問介護)なら尚更です。
そもそも訪問介護365日24時間なんて利用できません。
要介護5の認定だとしても、無理です。
もちろんお金が無限に沸いてくる方がいるならば、支給限度額外で支払えば可能といえば可能ですが。

なのにですよ、
「介護ヘルパーを依頼せず」と判決理由にあるあたり、
じゃあ今回のようなケースは介護ヘルパーを依頼していれば発生しなかったのか?
答えは否。
たしかにヘルパーが来てくれている時間なら、防げたかもしれません。
しかしヘルパーが来ていたとしても、一秒たりとも目を離さないわけではありませんよね。
「介護する準備、片付け」「家族との打ち合わせや相談」といった業務もありますから。
その一瞬でお家から出て行ってしまうこともあると思うんです。
そしてヘルパーを利用していたとしても、訪問していない時間だったら?

別居の長男も、事実上の監督者であるにもかかわらず、
徘徊防止の適切な措置を取らなかった

徘徊防止の適切な措置とは?一体なにか。
身体拘束、原則禁止でしたよね?家族がやるのはOKなの?
それとも体内にチップでも埋めろとでも?
その費用は介護保険か医療保険で賄えるんですか?
他に24時間できる徘徊防止措置があるのなら、教えて欲しいものです。

男性は常に目を離さないようにしていなくてはならず、2人の過失責任は免れない
上の理由で、過失責任がある、って判断されてしまうのですね。



例えばですけれど
よく傷害事件が起きて、精神鑑定の有無が云々って報道されていますよね。
あれ責任能力がなかった、と判断された場合にはどうなるのでしょうか。

今回は民事裁判だと思うので、刑事裁判とは別物なのかもしれませんが、
ほんとやるせない。


「ほら、介護サービス使わなかったからだよ」

と、そういう風に聞こえるんです。
大好きな家族の一員を一生懸命支えていただけなのに、
こういう結果になって非常に残念。


まぁ損害が発生したのは事実ですし、どっちが正しいとか僕にはわかりませんけれども、
認知症の人が徘徊したらダメ、認知症の人が事故起こしたら家族の責任だよ、
という社会は介護の世界で延々と繰り返されているノーマライゼーションの社会とはまったくの逆方向にあるんではないでしょうか…。

というかJR側はまったくの落ち度はなかったというけれど、
線路内に立ち入れてしまう、という状況だったのはまったくそれ以上改善の余地のないことだったんですか?
家族が24時間ずっと監視していなければならない、という責任を課されるのであれば、
JR側にも24時間線路に人が立ち入らないようにずっと監視していなければならない、という責任もあるのではないですか?
そもそも電車って利用しない人にとっては自分の住む町にある企業が勝手に作ったものと一緒じゃないんですか?線路に入れてしまうわけですし、危険物じゃないですか。
その危険な場所に認知症の方が入ってしまった。
そう考えると被害者は認知症の方じゃないんですか?

とかまぁ…被害者加害者とか考え始めたらこじれるだけなんですが…。

認知症の人が出歩いても事故が起きない町、
そんなこと、難しいけど、できるといいですね。

お亡くなりになった方とご家族に祈りをささげて。

おしまい。
これからは福祉関係の記事をメインに投稿しようかなあ。

ということで最初は介護福祉士の模試のこと。

つい先日、二回目の模試を受けまして
おそらく結果はまあ普通でしょう。

あ、一回目は99/120でした。
7割合格なのでま、いいでしょう。

一回目も二回目も勉強してないのに。

現在、専門学校などの養成校に通う人が資格取得のために受ける試験は国家試験ではありません。養成校用の統一試験というものらしいです。※現在(2013年度)入学生までの制度で、次からの入学生は一般受験者と同じく国家試験です。

さて、この模試、実は国家試験用のもしだったそうで、ずーっと統一試験用の模試だと思っていたのでなんどか呆気。
というより、これが国家試験レベルなの?と拍子抜け。もちろん学校で授業を受けて学ぶ時間があったからそう思うのかもしれませんが、これより簡単な統一試験って…。

合格点に満たないクラスメイトたちも統一試験では合格レベルなんだろうなと思うと、なんだかやるせないですね。ていうかそういうレベルだから介護福祉士ってあまり認められないし、そもそも養成校でも国家試験受験になるわけで…。

ま、点はとれたけど全然細かい知識がないので偉そうなことは言えないんですが、もうちょっと高度な知識が必要なんじゃないのかなあと。
とはいえ医療でも相談でもない生活介護に必要な高度な知識ってなんなのって話なんですが。σ(^_^;)

うーむ。

いやむしろ全部?笑

毎日毎日、テレビでは高齢者介護についての話題が出てます。その毎日流れるニュースに一番近いところにいる、つまり重要であるはずの介護福祉士が、こんなんでいいわけ?

とかおもったりするわけですよ。

本人のレベルもそうだし、社会的な立場もね。ただ不思議なことにニュースではあまり介護福祉士についてなにも触れませんよね。介護職、とひとくくりで。

やっぱり介護福祉士という名ばかりな資格、と思われてるんですかね。名称独占なだけだし。

まあ、言いたくないけど、授業で習ってるほど、介護計画なんて建ててないよね、施設さんは特に。ケアマネがケアプラン立てて、なんかそれっぽいものがあるだけ。"介護福祉士"が立てた介護計画なんて実習でも見たことない。計画してるヒマあんなら介護してろって感じなのかしら。

ま、たしかに授業でも介護計画を立てるのは習うけど、それをいつ立てるのかは教えてもらわないよね笑 勤務時間に書くの?時間外に書くの?一分二分で書けるものじゃないし、なんなんだろ。

いったい介護福祉士ってなにをするものなの?ってここにきてまた迷う。


愚痴になってしまって笑