それまで経験したことのない大きい地震
その時のことは、今でも再現できるほど鮮明に覚えている。
金曜日、今日のように穏やかに晴れていた。
南三陸町の隣町、夫の実家と連絡がとれたのは2週間後。
それまで安否が心配だったが、近くの親戚たちを含めみんな無事で安心した。
あれから10年ー
「10年経った」からと言って一区切りでも節目でもなく
まだ自宅に帰れず他県などに避難していたり、家族バラバラに暮らす人もいて
先月の大きい地震は当時の余震というし
まだ終わっていない。
特に原発の問題は根が深い。
東北だけでなく、関東でも茨城県・千葉県は被害があった。
宮城県南三陸町の防災庁舎
地震発生直後

周りは土が盛られ、重機が動いていた。
同じ年の夏に夫の実家へ行って以来、私は行ってないけど
現在は
「震災復興祈念公園」に整備されたようです。
海水浴へ行く時、いつも通っていた場所。
全く変わりすぎて、知らない土地のよう。
他の地域も、すごく高い堤防ができたり
高台に家がたくさんできたり
空き地が増えてしまったりと
10年の間には変わった部分と、場所によってはほとんど変わらない部分もあるよう。
次の10年の間にはどのようになるだろう。
今まだ不自由な生活を余儀なくされている人も、少しでも楽になりますよう。
石田三成@zibumitunari
YAHOO!JAPANで「3.11」と検索することで、10円が復興支援に寄付されるとのこと。どうか、皆々も時間があれば検索して欲しい。大一大万大吉…少しずつの皆々の力が集えばいずれは大きな力となるhttps://t.co/LrHhLeodm5#検索はチカラになる https://t.co/jJ9itMC8pe
2021年03月11日 08:09
石田ミッチー、いいこと言う

「思い出す」というのは「忘れていたこと」を「思い出す」こと
被災地の人は震災を
「忘れたことはない」ので「思い出すことはない」のだ、と数日前の新聞コラムで目にしました。
私も義実家の地方でのこと、忘れる訳にはいきません。
引き続き思いを寄せていきたいです。