それまで経験したことのない大きい地震

その時のことは、今でも再現できるほど鮮明に覚えている。
金曜日、今日のように穏やかに晴れていた。


南三陸町の隣町、夫の実家と連絡がとれたのは2週間後。

それまで安否が心配だったが、近くの親戚たちを含めみんな無事で安心した。



あれから10年ー



「10年経った」からと言って一区切りでも節目でもなく


まだ自宅に帰れず他県などに避難していたり、家族バラバラに暮らす人もいて

先月の大きい地震は当時の余震というし
まだ終わっていない。


特に原発の問題は根が深い。


東北だけでなく、関東でも茨城県・千葉県は被害があった。




宮城県南三陸町の防災庁舎

地震発生直後
(画像お借り)


発生5年後の2016年3月、ようやくその場所へ行くことができ(ちゃっぴー撮影)

防災庁舎の下には花やお地蔵さん
周りは土が盛られ、重機が動いていた。

同じ年の夏に夫の実家へ行って以来、私は行ってないけど


現在は

「震災復興祈念公園」に整備されたようです。

海水浴へ行く時、いつも通っていた場所。
全く変わりすぎて、知らない土地のよう。


他の地域も、すごく高い堤防ができたり
高台に家がたくさんできたり
空き地が増えてしまったりと

10年の間には変わった部分と、場所によってはほとんど変わらない部分もあるよう。

次の10年の間にはどのようになるだろう。

今まだ不自由な生活を余儀なくされている人も、少しでも楽になりますよう。


石田ミッチー、いいこと言うウインク




「思い出す」というのは「忘れていたこと」を「思い出す」こと


被災地の人は震災を
「忘れたことはない」ので「思い出すことはない」のだ、と数日前の新聞コラムで目にしました。


私も義実家の地方でのこと、忘れる訳にはいきません。
引き続き思いを寄せていきたいです。


発生時刻のサイレンとともに、東北の方角を向いて黙祷。




その後、自転車で近くをぐるぐるうずまき


早くも土筆を見つけた!

石の間から。