8月もあと2週間てポーン

夏休みはもう終わり、昨日から学校が始まった所もあるね。あっつい中、子どもたちもたいへんだね…ニヤニヤアセアセ

でも昼は暑くても、夜はコオロギや他の虫が鳴いてるよ。

温かいハピバメッセージ、ありがとうございました照れピンクハート



ぶどうスイカぶどうスイカぶどうスイカぶどうスイカぶどう



さて「生誕100年」?

有名人ではござんせん、私の父です。

2年前の1月に亡くなったけど
1920年(大正9年)8月18日生まれなので、存命だったら今日100歳の誕生日。

お盆の祭壇は片付けてしまったけど、仏壇にお菓子などたくさんあげてますウインク


父が保管していた写真を探っていたら古い写真がいろいろあって

幼少の写真や家族との写真



青年時代、矢印が父。

上のは写真の裏に「昭和12年8月12日、飯田校講堂ニテ」と書かれています。
なので18歳くらいか。

生まれたのは宮城県で家は商売を営んでいたらしいけど、9歳頃に父親が亡くなり、母親の長野県飯田市辺りに引っ越したらしいです。
「飯田校」というのは当時の飯田商業高校だったらしい。


下は戦後なのか、戦時中のような服の人が多いけど皆さん表情は明るいです。

服装や眼鏡が時代を物語っていますね。

もはや勝手にファミリーヒストリー笑い泣き



父は戦争では兵隊にも召集され、東京・府中だか調布の「高射砲隊」に配属されたと。

「高射砲」とは敵機を地上から撃ち落とす大砲のよう下矢印

(画像お借りしました)

しかし召集されて2週間くらいで終戦になったらしい。


「お国のために」と特攻隊や海外の戦地で亡くなった人もたくさんいる中、幸いにも生き延びることができました。



時は流れて時計


デイサービスに通っていた頃


夏のオマットゥリ、スイカ割りスイカハッ
ちょっと残念笑い泣き

2~3年通ったデイサービスはスタッフ皆さんが親切で、お仲間(大多数が女性)ともカラオケしたりカラオケ麻雀したり🀄

とても楽しかったようです。

「デイサービス行ってた時が一番楽しかったなニヤリと後によく言ってました。


有料老人ホームに入居した後
近くの公園へ皆さんと散歩
ハーモニカを吹くと、興味津々で集まる保育園の子どもたち。
今なら「密です!爆笑
施設のスタッフが写してA4サイズにパウチしてくれました。


88歳くらいまで自転車に乗っていましたが

母が亡くなってからは動くことも前より減って、足腰も弱くなり

90歳でガンの手術をして克服しましたが、その後もいろいろな病と付き合い。


でもデイサービスや老人ホームでも温かく面倒をみてくださって、幸せだったのでは照れ




ギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザ


8/15(土)にNHK「太陽の子」を見ました。

京都大学の科学者の卵の学生たちが、海軍から新型爆弾を作れとの命令に悩み葛藤するというドラマ。

三浦春馬さんの遺作となりました。


彼の再び戦地へ行く姿はとても凛々しくえーん

海へ入水するシーン、一体どんな気持ちだったのだろうえーん

「いっぱい未来の話をしよう」というセリフ、どんなことを思いながら話しただろうえーん

最後の手紙
再び帰らざる出撃命令が下りました
今におよび何も心残りはありません
この手紙がつく頃、戦果(戦火?)を上げてみせます
裕之はお国のため、笑って死にます

ありがとう。さよなら

と、どんな気持ちで読み上げたのかえーん

戻ってきて、まだまだ未来の話をしてほしかったえーん

素晴らしい未来があったはずなのに、そんなに生き急がなくても…


手紙とオーバーラップして、切なさと無念さでいっぱいになったえーんえーんえーん

主演の柳楽優弥さんや有村架純ちゃんも好演でしたね。


…などなど思いながら今日を過ごしてます。

父が育った南信濃の辺りにも、いつか行ってみたいのですけどね、、、

まだ不要不急の移動は我慢しなくてはね…