おととい・昨日で父の通夜・葬儀













ならびに初七日の法要を無事済ませることができました。
年末年始からの火葬場利用者が立て込んでいたらしく、最も早くてこの日程。
朝どんより曇っていたけど

出棺時にはスッキリ晴れてよかった

故人の生前の意向と家族の話し合いで
子供・孫とその家族だけ、本当の近親者のみでの家族葬。
あたたかく、皆の心がこもり
一人一人ゆっくりと落ち着いてお別れができてとてもよかった









今回、私は初めて喪主を務めましたが
気心知れた親族のみなので、皆の助けを受けながらなんとかやり終え
ようやくひとくぎり。
亡くなった父が「私がきちんとできるか」
一番心配だったと思うけど
合格点をもらえると思います



遺影は孫(姉の息子)の結婚式に出席した時の10年前の写真で、この上なく男前なものです。
これもきっと喜んでいるでしょう














いつも優しく、穏やかな父でした。
そんな父らしく、最期も穏やかな感じでスーッと息を引き取りました。
97歳と4ヶ月、まさに大往生

数え歳で98歳と記されています。
20年以上も前から前立腺ガン、狭心症、心筋梗塞、不整脈、心房細動、肺気腫、肺炎(何度も)、糖尿病、骨粗鬆症、胃がん、etc.etc.……
数々の病を克服・復活、あるいはずっと付き合いながらこの歳まで生きてきたのは
驚きと尊敬に値します。
私や施設のスタッフの方々に「ありがとう」と感謝や気遣いを最後まで忘れませんでした。
施設ではカラオケ
麻雀🀄トランプ
などで楽しく過ごしていたようです。



囲碁●○や花
を育てるのが好きでした。

母と旅行もよく行きました

母の生前、自ら母の介護をしていて
そのたいへんさを知っていたので、私に再び苦労をかけないようにと自分から進んで施設に入ると決めた父でした。
本人の生きようという意欲ももちろん、
施設の方々の優しく温かい介護で父も幸せだったし、体調の急変にもいつも速やかに対応していただいたおかげで長生きできました。
ただ最後はさすがに回復する体力もなく、誰にもどうすることもできませんでした。
空の上で先に長らく待たされている母が
「アンタ、そろそろいいんじゃないの
」

と、去年あたりからしびれを切らして呼んでいた気もする。
毎朝仏壇に水・お茶・ご飯を供えながら
私にはうすうす感じるものがありました。
母は何をするにも「お父さん、お父さん
」と父を頼りにしていましたから。

全ての苦しみや不自由から解放され、昨日4年4ヶ月ぶりに自宅に帰れました。
誰からも愛された父
長い人生お疲れさま、ありがとう。
私はとても幸せでした。父もそうであったと信じたい。
ゆっくり休んでほしいと思います。