★本日、新曲togetherと京セラDVD&Blu-rayリリース
昨日フラゲできた方、すでに楽しんでいらっしゃるでしょうねぇ
うちは、明日届くみたいよ~
★W杯アジア2次予選
最後のシリア戦も5-0と解消、グループ1位通過
シンジカガワの最初のゴールは何度見てもシビレる

岡ちゃん、代表100試合おめでとう
胴上げの後、股間に水撒かれてた
どうせマヤの仕業でしょ
表彰セレモニーでハリルさんの満面の笑顔、初めて見た。あんなに笑うんだ
長谷部さんも解説松木さんに絶賛されてた。そりゃそうよ











前置きはこれくらいにして
今日のブログは長谷部マジメモードです
今回、ナオトの仙台ツアーが当選した時
かねてから行きたかった震災後の南三陸をこの目で見てきたい
そして
義父の葬儀以来6年も帰っていない、南三陸の隣にある義実家(夫の実家)にも寄って来たい
そう思っていました。
でもホテルがどこも取れず、日帰りで帰ることにしていたら『生さだ参戦できる』との連絡
気仙沼から海岸線を通り、実家の最寄り駅まで行けば、2つの希望が一度に叶う

まさに一石二鳥ではないか
生さだに連れて行ってくれたナオ友さんと、ここで一緒に朝を迎えました

早朝すぎて食べる所とかやってないし、
だいたいお店が見つからない。仮設の屋台村みたいな場所の近くに渡辺謙さんのお店がありました。
コンビニで
買って朝ごはん、おわり
ナオ友さんはその日は郡山のツアーに参戦
私は夫の実家へ顔出し&お墓参りの予定
気仙沼駅までナオ友さんに送ってもらいました。最後までお世話になりました

駅のトイレでおパンツをはきかえ
水道で顔を洗い
買ったばかりのツアータオルで拭きました
9:05発のBRTで志津川まで1時間半かけて行きます。

BRTというのはバス・ラピッド・トランジット(Bus Rapid Transit)の略で、専用レーンが整備され、一般の路線バスのように渋滞の影響を受けることなく走れる電気バスです。
このようにかわいいイラストがついてます

バスの一番後ろの席に座り、撮りました。
向こうの方の道が細くなっています。
バスの幅1台分の専用道路です。
左のボックスみたいなのは駅。
津波で沿岸の線路は流されてしまって
その鉄道に代わりこのバスが走るわけです
途中の景色はほとんどがこのようなものでした



ほとんど嵩上げの盛り土と、ブルドーザーなどの重機
震災から5年経っていますが、この風景が延々と続きます
震災以来、何度も映像や紙面で見て認識している風景だけど
やはり実際その場で見ると『本当に何も無い』と心が痛みます
ナオトの言葉を思い出しました。
『復興もされている所もあるけどまだまだの所も多くて、場所によって格差がある』
たしか前日の生さだで、さださんが
『東日本大震災の三陸の被害は、長崎の被爆の被害の20個分に相当する』というような事を言っていたと思い、想像がつかない甚大な被害なんだと改めて思います。
本吉の海岸を通った時
いつも帰省した時に海水浴に来た事
海水浴場の監視台から愉快なアナウンスをしていたおじさん。
あのおじさんは無事だったのかな。。。
駅16個目でようやく志津川に到着
前日電話していたので、義兄夫婦が迎えに来てくれました
最後まで津波の放送をしていた女性職員の方が亡くなった、防災対策庁舎まで連れて行ってもらいました。
目の当たりにして見上げると、胸に迫るものがあります。
すぐ後ろには盛り土が。

横と裏はこんなです。
正面にお地蔵さんやお花、千羽鶴などがあります。被害者の方の冥福を祈りました。
南三陸さんさん商店街
かつて賑やかだった志津川の商店街は全て流され、現在はここの仮設商店街だけ

商店街の周りはといえば、どこもこのような盛り土だらけ。
とにかく、土以外何も無い。。。
海水浴に行く時にいつも通っていた賑やかな場所だったのに、全く風景が変わってしまいました
嵩上げした土地に建った新しそうな建物もずいぶんありましたが、きちんと整備されるまでは10年で足りるのかどうか。。。
ナオトは何回も被災地に来ているけど、私は5年も過ぎてからようやく初めて来ることができました。
今回ライブや生さだなどのきっかけがなければ、いつ来ることができたのか。
機会を活かせて本当によかった
義兄夫婦に先にお墓に連れて行ってもらいました。
ずっと心苦しく思っていたけど
ようやく長年の不義理を済ませることができ、胸のつかえがとれました
夫の分まで心を込めてお参りしました。
両親がいなくなると、自分の実家にもあまり帰りません。
お墓参りの後、家に荷物を置きに。
日曜日なので甥夫婦もいました。
お昼になり、近所の美味しい蕎麦屋にみんなで。予約してくれたみたいでした
ざる蕎麦と野菜の天ぷら、お新香と胡麻豆腐。
野菜の天ぷらにフキノトウがあり、苦味がまた美味
抹茶塩で食べる揚げたての天ぷら、いと旨し
1時間ほど家で休憩、
お互いのうちの近況や、なぜ私が仙台と気仙沼に来たかを話したりしてから
新幹線のくりこま高原駅まで送ってくれました。
『ナオト・インティライミ知ってる
』
若夫婦は知ってたけど、兄嫁は知らなかった
しばらく行かないうちに家の近くにも新しい道路などができていて、軽い浦ちゃん(浦島太郎)状態
前の日に電話したとはいえ、お休みのところに突然おじゃましたのに、みんな温かく迎えてくれて嬉しかった
これからも東北遠征にかこつけて来ればいいのね。
来る時の北海道新幹線のバッタリから
ナオトのライブ
生さだ観覧
数々の貴重な体験やミラクルバッタリ
いつも電話だけでご無沙汰してた親戚にも会えたし
濃~い濃~い2日間



ナオ友さんたちや親戚の人たちにたくさんお世話になり、ありがたさを感じて帰りました。
ほとんど徹夜でよく頑張れた、自分
これにて2日間の報告は完結します。
長い文章のお付き合い、ありがとうございました

またね~

昨日フラゲできた方、すでに楽しんでいらっしゃるでしょうねぇ

うちは、明日届くみたいよ~

★W杯アジア2次予選


シンジカガワの最初のゴールは何度見てもシビレる


岡ちゃん、代表100試合おめでとう

胴上げの後、股間に水撒かれてた

どうせマヤの仕業でしょ

表彰セレモニーでハリルさんの満面の笑顔、初めて見た。あんなに笑うんだ

長谷部さんも解説松木さんに絶賛されてた。そりゃそうよ












前置きはこれくらいにして
今日のブログは

今回、ナオトの仙台ツアーが当選した時
かねてから行きたかった震災後の南三陸をこの目で見てきたい
そして
義父の葬儀以来6年も帰っていない、南三陸の隣にある義実家(夫の実家)にも寄って来たい
そう思っていました。
でもホテルがどこも取れず、日帰りで帰ることにしていたら『生さだ参戦できる』との連絡

気仙沼から海岸線を通り、実家の最寄り駅まで行けば、2つの希望が一度に叶う


まさに一石二鳥ではないか

生さだに連れて行ってくれたナオ友さんと、ここで一緒に朝を迎えました


早朝すぎて食べる所とかやってないし、
だいたいお店が見つからない。仮設の屋台村みたいな場所の近くに渡辺謙さんのお店がありました。
コンビニで


ナオ友さんはその日は郡山のツアーに参戦

私は夫の実家へ顔出し&お墓参りの予定
気仙沼駅までナオ友さんに送ってもらいました。最後までお世話になりました


駅のトイレでおパンツをはきかえ
水道で顔を洗い
買ったばかりのツアータオルで拭きました

9:05発のBRTで志津川まで1時間半かけて行きます。

BRTというのはバス・ラピッド・トランジット(Bus Rapid Transit)の略で、専用レーンが整備され、一般の路線バスのように渋滞の影響を受けることなく走れる電気バスです。
このようにかわいいイラストがついてます

バスの一番後ろの席に座り、撮りました。
向こうの方の道が細くなっています。
バスの幅1台分の専用道路です。
左のボックスみたいなのは駅。
津波で沿岸の線路は流されてしまって
その鉄道に代わりこのバスが走るわけです
途中の景色はほとんどがこのようなものでした




ほとんど嵩上げの盛り土と、ブルドーザーなどの重機
震災から5年経っていますが、この風景が延々と続きます

震災以来、何度も映像や紙面で見て認識している風景だけど
やはり実際その場で見ると『本当に何も無い』と心が痛みます

ナオトの言葉を思い出しました。
『復興もされている所もあるけどまだまだの所も多くて、場所によって格差がある』
たしか前日の生さだで、さださんが
『東日本大震災の三陸の被害は、長崎の被爆の被害の20個分に相当する』というような事を言っていたと思い、想像がつかない甚大な被害なんだと改めて思います。
本吉の海岸を通った時
いつも帰省した時に海水浴に来た事

海水浴場の監視台から愉快なアナウンスをしていたおじさん。
あのおじさんは無事だったのかな。。。
駅16個目でようやく志津川に到着
前日電話していたので、義兄夫婦が迎えに来てくれました

最後まで津波の放送をしていた女性職員の方が亡くなった、防災対策庁舎まで連れて行ってもらいました。
目の当たりにして見上げると、胸に迫るものがあります。
すぐ後ろには盛り土が。

横と裏はこんなです。
正面にお地蔵さんやお花、千羽鶴などがあります。被害者の方の冥福を祈りました。
南三陸さんさん商店街
かつて賑やかだった志津川の商店街は全て流され、現在はここの仮設商店街だけ

商店街の周りはといえば、どこもこのような盛り土だらけ。
とにかく、土以外何も無い。。。
海水浴に行く時にいつも通っていた賑やかな場所だったのに、全く風景が変わってしまいました

嵩上げした土地に建った新しそうな建物もずいぶんありましたが、きちんと整備されるまでは10年で足りるのかどうか。。。
ナオトは何回も被災地に来ているけど、私は5年も過ぎてからようやく初めて来ることができました。
今回ライブや生さだなどのきっかけがなければ、いつ来ることができたのか。
機会を活かせて本当によかった

義兄夫婦に先にお墓に連れて行ってもらいました。
ずっと心苦しく思っていたけど
ようやく長年の不義理を済ませることができ、胸のつかえがとれました

夫の分まで心を込めてお参りしました。
両親がいなくなると、自分の実家にもあまり帰りません。
お墓参りの後、家に荷物を置きに。
日曜日なので甥夫婦もいました。
お昼になり、近所の美味しい蕎麦屋にみんなで。予約してくれたみたいでした

ざる蕎麦と野菜の天ぷら、お新香と胡麻豆腐。
野菜の天ぷらにフキノトウがあり、苦味がまた美味

抹茶塩で食べる揚げたての天ぷら、いと旨し

1時間ほど家で休憩、
お互いのうちの近況や、なぜ私が仙台と気仙沼に来たかを話したりしてから
新幹線のくりこま高原駅まで送ってくれました。
『ナオト・インティライミ知ってる

若夫婦は知ってたけど、兄嫁は知らなかった

しばらく行かないうちに家の近くにも新しい道路などができていて、軽い浦ちゃん(浦島太郎)状態

前の日に電話したとはいえ、お休みのところに突然おじゃましたのに、みんな温かく迎えてくれて嬉しかった

これからも東北遠征にかこつけて来ればいいのね。
来る時の北海道新幹線のバッタリから
ナオトのライブ


数々の貴重な体験やミラクルバッタリ
いつも電話だけでご無沙汰してた親戚にも会えたし
濃~い濃~い2日間




ナオ友さんたちや親戚の人たちにたくさんお世話になり、ありがたさを感じて帰りました。
ほとんど徹夜でよく頑張れた、自分

これにて2日間の報告は完結します。
長い文章のお付き合い、ありがとうございました


またね~
