蒔かぬ種は生えぬ、蒔いた種は必ず生える。
善いのも悪いのも、自分にあらわれた運命のすべては自分の蒔いた種が原因なのですよ、とお釈迦様は私たちに教えてくださっています。
理屈ではわかっていても、苦しい状況がふりかかると、なかなか認めがたい心が出てきます。
前回、蒔いた種が結果にあらわれるのに、時間がかかるものがある。
それが原因と結果の関係をわかりづらくしていることを紹介しました。
今日はもう一つ。
まいた種の生え方に、2通り教えられていることも 知っておく必要があります。
一つには、「等流因等流果(とうるいんとうるか)」。
これは、まいた因(タネ)と現れる結果が同質のものを言います。
例えば、「殴ったら、殴り返された」「悪口を言ったら、悪口を言われた」などです。
「親捨てた 報いで子にも 捨てられる」
「呼べば呼ぶ 呼ばねば呼ばぬ 山彦ぞ まず笑顔せよ みな笑顔する」
と言われるように、人間関係でも、他人を尊重しない人が、他人から尊重されるはずはないし、相手を大切にしない人が、相手から大切にされるはずもありません。
愛する人が愛されるのも、因果の道理です。
もう一つは、「異熟因異熟果(いじゅくいんいじゅくか)」。
これは、因と果が異質のものをいいます。
例えば、「悪口を言ったら、財布を落とした」、「泥棒したら、家が火事に遭った」など、単純に因と果の関係が分からないものです。
「私がなぜ、こんな目に遭わねばならないのか?」
と思えることの中には、異熟因異熟果の場合が多いでしょう。
しかし、結果が同質であれ、異質であれ、善因は善果、悪因は悪果を生み出すことに変わりはありません。
ですから、「正直者が馬鹿を見る」こともないし、「努力がムダになる」ことも絶対にありません。
この因果の道理を知れば、無気力なアキラメ主義は吹き飛んで、過去を反省し、より良い未来を創造することに全力を挙げる、たくましい人生が開けるでしょう。