「家庭内でケンカが絶えない。いったいどうしたら……」

という悩みを抱えている方は少なくないようです。

ケンカはしたくないのに、つい「カッ」となって衝突してしまう。

そんなケンカの絶えない家の主人が、仲良し家族の家に秘訣を聞きに行く、という話が本に載っていましたので紹介します。

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 ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していた。

 ケンカの絶えないA家の主人は、隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて懇願した。

「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。

 お宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。

 一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」

「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。

 ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。

 私の家は悪人ばかりがそろっていますので、ケンカにはならないのです。ただそれだけのことです」

 てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、

「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。

 どうも皿かお茶碗でも割ったようである。

「お母さん、申し訳ありませんでした。

 私が足元を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗をこわしてしまいました。私が悪うございました。お許しください」

 心から詫びている、お嫁さんの声がする。

「いやいや、おまえが悪かったのではありません。

 先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、そんなところに置いた私が悪かったのです。

 すまんことをいたしました」

と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。

「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。ケンカにならぬ理由がわかった」

 A家の主人は感心して帰ったという。

 謗るまじ たとえ咎ある 人なりと

     我が過ちは それに勝れり

(1万年堂出版「光に向かって100の花束」より)

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「自分が悪い」とは、なかなか思えないものです。

“自分がこんな目にあったのは、あの人のせい”

“私の不幸は、あいつのせい”

“自分がこんな苦しい思いをしないといけないのは、会社が悪い”

と、自分が受けた苦しみの犯人探しをし、相手を責めます。

責めることの出来ない相手に対しては、“恨み”“憎しみ”の炎となって、いつまでも消えません。


なぜ「自分が悪い」と思えないのでしょう?

それは、自分を正しく見ることが出来ないからです。

自分が悪い結果を受けたのは、過去にやった自分の悪い行為が原因で、それ以外にありません。

ところが、“悪い”という自覚なく悪い種まきをしているので、いざ結果が現れると

「オレが何をしたというのだ」

という思いが出てくるのです。


もうちょっと深く突っ込んで、話をしたいと思いますが、長くなったので、また次回にします。