謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

平成24年の初アップでございます。

皆さま、年末年始は、いかがお過ごしでしたでしょうか?


12/31、1/1を千葉の実家で過ごし、久しぶりの家族団らん、親のありがたみを、しみじみ感じました。


仏典に、親の恩を詳しく教えたお経があります。

私たちは、究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩という大きなご恩を親から受けているのだよ、とお釈迦様は教えられました。

次のようなことがお経に記されています。

「己 生ある間は、子の身に代らんことを念い、

 己 死に去りて後には、子の身を護らんことを願う」

どんなに年老いても、命ある限り、子供の苦しみを代わってやりたい。
死んだ後までも守ってやりたい──。

親が子供を哀れみ、慈しむ情は、終生、絶える間がなく、あたかも影の形に従うがごとく、親の心は子供から離れたことがない、と教えられているのです。

どんなに仲の良い親友であっても、
四六時中、自分を思い続けてくれる人はないでしょう。

お釈迦様の教えを通じて、親の恩を当たり前に思っていた自分を
反省させられました。
(ーー;)Hansei...


「恩」という漢字は、原因の「因」と「心」という字から成っています。

どんなことにも必ず原因がある。

今の幸せは、一体だれのおかげか、その原因を知る心と書いて「恩」と読みます。

思えば私たちは、実に多くの人々のおかげで恵まれ、生きています。

“生きている”といえば、自分の力で生きているようですが、本当はご恩によって、“生かされている”のだと知らされます。

それを忘れてしまって、「あることが当たり前」と思うところから、不満が出て、愚痴が出てくるのでしょう。

「なくて当たり前」と知れば、不平や不満は消え、あるのは、おかげさまと感謝になるはずです。

「恩を知るは大悲の本なり、善業を開く初門なり。恩を知らざるものは畜生よりも甚だし」

これも、お経にあるお釈迦様の言葉です。

恩を知らない者は動物よりもお粗末だと言われるのも、動物ですら、受けた恩を感ずる心を持っているからです

仏教では、その人がすばらしい人かどうかの評価は、学歴や職業、社会的地位などでは決まりません。

どれだけ恩を知り、恩を感じ、恩に報いようという心があるか。

知恩・感恩・報恩の心が強い人ほど立派な人といわれます。

この厳しいご時勢、才能や能力を磨くことも大事ですが、何よりも「恩を知り、感じ、報いる」人になれるよう努力したいもの。

それが、幸せな人生を生きる最短の道に違いありません。


◆ つぶやき ◆

さて、元日は、久々の関東ということで、東京は、池袋に行ってきました。

たくさんの人で賑わっていたものの、電車でも、歩道でも、着物姿の女性はほとんどいなくて、

「東京の新年って、こんな感じだったかなぁ?」

と思ったりしました。

年末や年始と言っても、人間の都合ですから、地球からみれば、いつもどおり、太陽をぐるぐる回っているだけ。

無常は、人間の都合など、一切おかまいなしですから、光に向かってまっしぐら、進ませていただくのみです。

ですが、ケジメなので、

「本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます☆☆」

(*^-^)/