お盆とは何なのか?

浄土真宗のお盆は、何をすれば良いのか?

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浄土真宗のお盆について


こんばんは☆

読売新聞8月2日朝刊の“葬式”についての話題からです。

今年1月に発刊された『葬式は、要らない』という本が

29万部の売り上げとなっています。

著者も、その反響に驚いて、

「今のような葬式は要らない」

と多くの人が考えているからだろう、と語っています。


日本の葬儀費用は平均200万円以上。


その本の著者・島田裕巳(しまだひろみ)さんは、

「死者を慰め、遺族の心を癒やす儀礼としての葬儀は大切だが、

 今の葬儀はそんな機能さえ果たしていない。

 遺族は、まず葬式やお墓をどうするかで

 頭を悩ませないといけない。

 人が死ぬことに、こんなに振り回されてはかなわない」

と新聞のインタビューに答えていました(筆者要約)。


葬送ジャーナリストの碑文谷創(ひもんや・はじめ)さんは、

葬式の意味は2つある、と語っています。

1つは死者の尊厳を守り、あるがままにその存在を肯定すること。

もう1つは、身近な人の死という「二人称の死」に直面し、

グリーフ(悲嘆)を抱え込んだ近親者を支え、

悲しみを分かち合うこと。

死を向き合う葬式は、生者にとっては出発点とも言える、と

語っていました。


そして、仏教学者の末木文美士(すえき・ふみひこ)さんは、

寺の檀家(だんか)が減り、「葬式仏教」が都市部などで

崩壊していくのは必然的な流れだ、と語り、

現代は死後のとらえ方に関し、各人の「自己決定」が広がっているといえる、

と分析していました。

葬式の衰退で寺が安泰でなくなり、僧侶が寺の質を高める努力が

迫られるのはいいことだけれど、街からなくなってしまうのはどうか?

寺や墓があって、心が安らぐということもあるだろう、と

コメントしていました。


3人の意見を読んで、その是非については意見は異なっても、

仏教=葬式を前提に話が進められています。


生きた人に、生きた教えを説くのが仏教の本来の姿です。


人が亡くなってから、呼ばれるのが僧侶ではないのです。

まして、死人のために読経するのでもありません。


あのトンチで有名な一休さんに、こんな話があります。

一休さんの寺に、ある朝、村の若者が、

「お婆さんが昨晩死んだので、枕経(まくらぎょう)をあげてほしい」

と言ってきました。

それを聞いた一休さん、奇妙なことに

長い柄のついたカナヅチを持ってその家に行きました。


待っていた家族の案内でお婆さんの枕元に通された一休さん、

「お経をあげる前に、

 婆さんにお経を聞く力があるかどうか試してみる」

というなり、枕元に立って、持ってきたカナヅチで

死んだ婆さんの頭を思いきりたたきました。


家族が怒るのを尻目にもう一度叩いてみました。

「おい、婆さんはウンとかスンとか言ったか」

と尋ねるが、死人が言う筈もありません。


一同、黙っていると、

「お婆さん、手遅れじゃったな」

と言って、お経を一字もよまずに帰ってしまった、という話です。


これは、一休さんが、お経は死人へのごちそうだという

根強い迷信を破るための行動だったのです。


お経は、お釈迦様が生きた人に説かれた教えを書き残したもの。

内容を教えてもらわなければ意味がありません。


亡くなった人を、どう送るか、に悩まれるご遺族の心情は

よくわかりますが、仏教は亡くなった方のために説かれた

教えではなく、生きているあなた自身のために説かれた教えで

あることを知って頂きたいと願わずにおれません。


仏教が現在のように誤解されているのも、教えを説いて来なかった

説くべき立場の者の責任です。

私も、伝える立場の者として、いろいろな機会を御縁として、

正しい仏教の教えを伝えていきたいと思います。



━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━


亡くなった人を「仏」と呼ぶのを、よく耳にします。


「死んだら誰でも仏」が常識になっているからでしょうか。

これも誤解された仏教の一つです。


お仏壇にお参りするのも、亡くなった先祖に

お参りしている、と思っている人が多いです。


お仏壇のCMを観ていても、お仏壇屋さんが

「お仏壇には先祖をまつるものだ」と勘違いしています。


「死人=仏」ではありません。


お盆には、地獄の釜のフタが開いて、

ご先祖様の魂が帰ってくる、

それを迎え火で迎え、また、送り火で送る、

ということを思っている人もまた多いです。


それは仏教の教えではないので、

これまた大きな誤解の一つです。


そもそも、人間でさえ、お盆休みがとれないのに、

地獄の鬼が、先祖の魂を“帰省”させるなんて

考えられないことです。

事実とすれば、地獄は、この世より結構なところ、

ということになりますから、自殺したくなるのも

うなずけます。


「死んだら誰でも仏」と言いながら、

お盆には、「地獄に堕ちて苦しむ先祖が帰ってくる」

というのは、矛盾も甚だしいでしょう。

仏が地獄に堕ちて苦しむなんて話は聞いたことがありません。


「死んだら誰でも仏」も「お盆に先祖の魂が帰ってくる」

というのも、おおよそ仏教とはかけ離れた迷信です。


正しい仏教を正しく知らないと、どれだけお金をかけても、

正しい先祖供養はできないのは当然です。


仏教は、死んだ人のための教えではなく、

今を生きる“私”のために説かれた教えです。


「若きとき仏法は嗜(たしな)め」と候(そうろう)。

 年よれば行歩(ぎょうぶ)も叶わず、睡くもあるなり、

 ただ若きとき嗜め」と候。


“仏法は若い時に求めよ。

 気力、体力の充実している若い時こそ、仏法を聞く適齢期。

 光に向かうのは早いほどよい。

 昨日より今日、今日より明日、私たちは確実に老いていきます。

 今より若い時はありません。仏法を聞くべきは、今なのです”


と蓮如上人は教えてくださっています。



* 仏教から学べるたった一つのことがわかる勉強会の案内です。

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