寂しい心に一人泣いていたお軽(かる)という江戸時代の女性の話です。
今回は後編です。
幼いころから独りぼっちで、適齢期にも寂しさを味わった。
結婚で、一旦は癒やされたかに見えたが、
今度は夫の不義によってより苦しむ。
一心に尽くした夫に疎まれる悲しさは、身をよじるほどであったでしょう。
しかも島の者は皆、幸七を弁護し、聞こえるのは自分への冷笑ばかり。
「だれも私を分かってくれない」
孤独な人生の救いを求め、お軽は生まれて初めて仏門を叩く。
寺の住職・現道(げんどう)に事情を明かし教えを請うたのです。
「あんたのためには、かえってよかった。
こんなことでもなければ、仏法を聞くような女でないからな、そなたは」
歯に衣着せぬ現道のひと言に怒ったお軽は、そのまま家に帰ってしまったが、それでも聞かずにおれなかった。
そんなお軽が真剣な聞法を重ね、やがて
「人間に生まれて良かった」
「生きてきて良かった」
と仏法喜ぶ身となってから、あふれる喜びを、多くの歌にしています。
「阿弥陀如来を 殿御(とのご)に持てば
娑婆(しゃば)の貧乏 苦にならぬ」
“私一人の阿弥陀如来、魂の連れを得てごらん、この世の苦労は苦にならぬ”
変わり果てたお軽に驚き、やがて幸七も仏縁を結ぶ。
その幸七夫妻と現道との、こんな会話が伝えられています。
お軽が、現道に言った。
「この人が道楽をしたのは私には幸せでした。
それがご縁で、こうしてお慈悲さま(弥陀の救い)にあわせていただけたのですから。
この人は私には善知識(ぜんちしき=仏法の先生)です」
すると幸七が、
「それを言われるとオレはつらい。
でもお前こそ、お慈悲にあわせてくれた善知識だよ」
「二人とも、こうして真剣に仏法を聞いているからこそ、
私も仏縁にあわせてもらえる。二人こそ私の善知識だ」
最後に現道はこう言い、ともに喜び合ったといいます。
底知れぬほど寂しいところが人生です。
それが信心決定(しんじんけつじょう)すれば、無限に楽しい人生となるのです。
(おわり)
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
かつて、読売新聞の編集手帳に、こんなことが書かれてありました。
・・・・・・・・・・
万葉集には
「恋」という言葉に、
「古非」や
「古比」に交じって
「孤悲」とあてた歌もある。
なるほど、いつの世もひとり悲しむものである。
読売新聞「編集手帳」より
・・・・・・・・・・
恋して恋に泣く恋しか知らなければ、孤悲の結末は避けられないでしょう。
どんなに求めても、どんなに尽くしても、ひとり悲しむ人生では、何のために生きているのか、わかりません。
底知れぬほど寂しい人生が、無限に楽しい人生となる。
親鸞聖人が、私たちに、その道を教えてくださっています。
今回は後編です。
幼いころから独りぼっちで、適齢期にも寂しさを味わった。
結婚で、一旦は癒やされたかに見えたが、
今度は夫の不義によってより苦しむ。
一心に尽くした夫に疎まれる悲しさは、身をよじるほどであったでしょう。
しかも島の者は皆、幸七を弁護し、聞こえるのは自分への冷笑ばかり。
「だれも私を分かってくれない」
孤独な人生の救いを求め、お軽は生まれて初めて仏門を叩く。
寺の住職・現道(げんどう)に事情を明かし教えを請うたのです。
「あんたのためには、かえってよかった。
こんなことでもなければ、仏法を聞くような女でないからな、そなたは」
歯に衣着せぬ現道のひと言に怒ったお軽は、そのまま家に帰ってしまったが、それでも聞かずにおれなかった。
そんなお軽が真剣な聞法を重ね、やがて
「人間に生まれて良かった」
「生きてきて良かった」
と仏法喜ぶ身となってから、あふれる喜びを、多くの歌にしています。
「阿弥陀如来を 殿御(とのご)に持てば
娑婆(しゃば)の貧乏 苦にならぬ」
“私一人の阿弥陀如来、魂の連れを得てごらん、この世の苦労は苦にならぬ”
変わり果てたお軽に驚き、やがて幸七も仏縁を結ぶ。
その幸七夫妻と現道との、こんな会話が伝えられています。
お軽が、現道に言った。
「この人が道楽をしたのは私には幸せでした。
それがご縁で、こうしてお慈悲さま(弥陀の救い)にあわせていただけたのですから。
この人は私には善知識(ぜんちしき=仏法の先生)です」
すると幸七が、
「それを言われるとオレはつらい。
でもお前こそ、お慈悲にあわせてくれた善知識だよ」
「二人とも、こうして真剣に仏法を聞いているからこそ、
私も仏縁にあわせてもらえる。二人こそ私の善知識だ」
最後に現道はこう言い、ともに喜び合ったといいます。
底知れぬほど寂しいところが人生です。
それが信心決定(しんじんけつじょう)すれば、無限に楽しい人生となるのです。
(おわり)
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
かつて、読売新聞の編集手帳に、こんなことが書かれてありました。
・・・・・・・・・・
万葉集には
「恋」という言葉に、
「古非」や
「古比」に交じって
「孤悲」とあてた歌もある。
なるほど、いつの世もひとり悲しむものである。
読売新聞「編集手帳」より
・・・・・・・・・・
恋して恋に泣く恋しか知らなければ、孤悲の結末は避けられないでしょう。
どんなに求めても、どんなに尽くしても、ひとり悲しむ人生では、何のために生きているのか、わかりません。
底知れぬほど寂しい人生が、無限に楽しい人生となる。
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ぴょんたの
ひまわり日記
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