人生で、真剣な選択を迫られるときが、何度かあります。
固い信念をもって、自分の意志を貫きたい、と思うのですが、
「本当にこれでいいのだろうか? 間違いないだろうか?」
という不安がなくなりません。
そんな経験はないでしょうか?
周囲に意見を求めれば、
「自分の思ったとおりにやればいい」
という人もあるし、
「もう一度、考え直した方がいいと思うよ」
と言う人もあります。
「そんなの絶対ダメだから」
とあからさまに反対される場合もあるでしょう。
進路のこと、転職、結婚、マイホームなどなど。
私たちが、自分の生き方に悩むとき、その目的をハッキリさせてからでないと、
何のために悩んでいるのかわからなくなります。
何のための就職なのか?
仕事を変えるのは何のため?
何のためにその人と結婚するのか?
マイホームの購入を考えるのは何のため?
答えは一つです。
「幸せになるため」
これ以外にありません。
でも、思い通りの就職が出来れば幸せか?
転職に成功すれば満足か?
好きな人と結婚できれば幸せなのか?
マイホームが手に入ればそれで幸せか?
もちろん、一応は“幸せ”と答えられるでしょうけれど、
思い通りの就職をしながら、1年以内に会社を辞める人、
転職を繰り返す人、
好きな人と一緒になったはずなのに、続かずに別れる人、
マイホームを手に入れながら、不平不満の毎日を送っている人……。
望んだものを手に入れて、それなりの幸福を味わいながらも、
なぜか今、「幸せ」の実感がない人が多いのはなぜなのでしょう?
それは、本当の幸福と、見かけの幸福との違いを知らないからだと言えます。
10年間、癌と闘った元・東大宗教学教授の岸本英夫氏は、
幸せについて深く考えさせられる言葉を遺しています。
「人間が、ふつうに、幸福と考えているものは、
傷つきやすい、みかけの幸福である場合が、
多いようであります。
それが、本当に力強い幸福であるかどうかは、
それを、死に直面した場合にたたせてみると、
はっきりいたします。
たとえば、富とか、地位とか、名誉とかいう社会的条件は、
たしかに、幸福をつくり出している要素であります。
また、肉体の健康とか、知恵とか、本能とか、容貌の美しさ
というような個人的条件も、幸福をつくり出している
要素であります。
これが、人間の幸福にとって、重要な要素であることは、
まちがいはないのであります。
だからこそ、みんなは、富や美貌にあこがれるのでありまして、
それは、もっともなことであります。
しかし、もし、そうした外側の要素だけに、たよりきった
心持でいると、その幸福は、やぶれやすいのであります。
そうした幸福を、自分の死と事実の前にたたせてみますと、
それが、はっきり、出てまいります。
今まで、輝かしくみえたものが、急に光を失って、
色あせたものになってしまいます。
お金では、命は、買えない。
社会的地位は、死後の問題に、答えてはくれないのであります」
これぞ幸せ!と思っているものが、
死を前にすると儚くも色あせたものになってしまう。
それは、見かけの幸福であった、と言うのです。
パスカルは、その著『パンセ』にこう記しています。
「この世に真の堅固な満足はなく、
われわれのあらゆる楽しみはむなしいものにすぎず、
われわれの不幸は無限であり、
そしてついに、われわれを一刻一刻脅かしている死が、
わずかの歳月の後に、われわれを永遠に、
あるいは無とされ、あるいは不幸となるという、
恐ろしい必然のなかへ誤りなく置くのであるということは、
そんなに気高い心を持たなくとも理解できるはずである」
私たちが楽しみとしているものも、いつか必ず死によって崩れ去る。
だから一切はむなしいのだと、パスカルは考えました。
そして、現実の人間は、その空しさをまぎらわすために、
常に気晴らしを求めている、とパスカルは言います。
ロシアの文豪トルストイは、人生のあらゆる生き甲斐もすべて
「ごまかし」だと断定しました。
「今日、明日にも病気か死が
愛する人たちや私の上に訪れれば
(すでにいままでもあったことだが)
死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。
私の仕事などは、たとえどんなものであろうと
すべては早晩忘れ去られてしまうだろうし、
私もいなくなってしまうのだ。
とすれば、何をあくせくすることがあろう?
よくも人間はこれが眼に入らずに生きられるものだ———
これこそまさに驚くべきことではないか!
生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、
さめてみれば、これらの一切が———
ごまかしであり、それも愚かしいごまかしであることに
気づかぬわけにはいかないはずだ!」
さらに、ラッセルは『幸福論』で、こう記しています。
「道楽や趣味は、多くの場合、もしかしたら大半の場合、
根本的な幸福の源ではなくて、
現実からの逃避になっている」
「趣味に熱中する楽しみ」とは、苦痛を一時的に忘れる時間つぶしと
言えるかもしれません。
飲んだ酒に酔っ払っている間だけ、借金を忘れて気持ちよくなっているのと、
同じようなもの。
悔いなき人生にしたい、と真剣に悩んだ先哲たちの言葉には、重みがあります。
私たちも、自分の生き方に悩むのは、悔いなき人生にしたい、
という思いからではないでしょうか?
どう生きればいいのか?
それは、何のために生きるのか、生きる目的が鮮明になってこそ、
知らされることでしょう。
ゴール(目的)がハッキリしていてこそ、ゴールまでどう走るか(手段)、を
考えることが出来ます。
ゴールがどこかもわからないまま、さて、どう走ろうか?
と悩むことに意味があるでしょうか?
有限の人生、時間は常に、ものすごいスピードで過去へと流れ去っています。
死を前にしても崩れない本当の幸福とは何か?
人生のゴールを知って、そこに向かってこそ、
本当に幸福に生きる道が開かれるに違いありません。
仏教には、すべての人が、本当の幸福に生きる道が教えられています。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
何か、悩み事があったとき、皆さんは、誰に相談しますか?
お父さん?
お母さん?
友だち?
それとも、職場の上司?
悩み事が尽きない人生、相談相手を持っておくことはとっても大切だと思います。
私も、幸い、相談できる先輩がたくさんいるので、アドバイスをその都度うけます。
諸先輩方の経験は、財産であり、宝ですね。
やってみないとわからないことがたくさんあります。
でも、やってからでは間に合わないことが多いんです。
大学を選ぶにしても、前もって志望する複数の大学での
学校生活を体験するわけにもいかない。
就職もそう。体は一つしかない。いろんな会社に入社してみる、
ということは出来ない。
大きな視野でみれば、人生はまさにそうですよね。
1日1日が取り返しのつかない価値をもっている。
今日という日は二度とやってこないから、やり直しがきかない。
だから、幸せ求めて生きているからには、“幸せ”を先哲の智恵に学ぶことは、
ものすごく大切なこと。
悔いなき人生を生きるためにも。
固い信念をもって、自分の意志を貫きたい、と思うのですが、
「本当にこれでいいのだろうか? 間違いないだろうか?」
という不安がなくなりません。
そんな経験はないでしょうか?
周囲に意見を求めれば、
「自分の思ったとおりにやればいい」
という人もあるし、
「もう一度、考え直した方がいいと思うよ」
と言う人もあります。
「そんなの絶対ダメだから」
とあからさまに反対される場合もあるでしょう。
進路のこと、転職、結婚、マイホームなどなど。
私たちが、自分の生き方に悩むとき、その目的をハッキリさせてからでないと、
何のために悩んでいるのかわからなくなります。
何のための就職なのか?
仕事を変えるのは何のため?
何のためにその人と結婚するのか?
マイホームの購入を考えるのは何のため?
答えは一つです。
「幸せになるため」
これ以外にありません。
でも、思い通りの就職が出来れば幸せか?
転職に成功すれば満足か?
好きな人と結婚できれば幸せなのか?
マイホームが手に入ればそれで幸せか?
もちろん、一応は“幸せ”と答えられるでしょうけれど、
思い通りの就職をしながら、1年以内に会社を辞める人、
転職を繰り返す人、
好きな人と一緒になったはずなのに、続かずに別れる人、
マイホームを手に入れながら、不平不満の毎日を送っている人……。
望んだものを手に入れて、それなりの幸福を味わいながらも、
なぜか今、「幸せ」の実感がない人が多いのはなぜなのでしょう?
それは、本当の幸福と、見かけの幸福との違いを知らないからだと言えます。
10年間、癌と闘った元・東大宗教学教授の岸本英夫氏は、
幸せについて深く考えさせられる言葉を遺しています。
「人間が、ふつうに、幸福と考えているものは、
傷つきやすい、みかけの幸福である場合が、
多いようであります。
それが、本当に力強い幸福であるかどうかは、
それを、死に直面した場合にたたせてみると、
はっきりいたします。
たとえば、富とか、地位とか、名誉とかいう社会的条件は、
たしかに、幸福をつくり出している要素であります。
また、肉体の健康とか、知恵とか、本能とか、容貌の美しさ
というような個人的条件も、幸福をつくり出している
要素であります。
これが、人間の幸福にとって、重要な要素であることは、
まちがいはないのであります。
だからこそ、みんなは、富や美貌にあこがれるのでありまして、
それは、もっともなことであります。
しかし、もし、そうした外側の要素だけに、たよりきった
心持でいると、その幸福は、やぶれやすいのであります。
そうした幸福を、自分の死と事実の前にたたせてみますと、
それが、はっきり、出てまいります。
今まで、輝かしくみえたものが、急に光を失って、
色あせたものになってしまいます。
お金では、命は、買えない。
社会的地位は、死後の問題に、答えてはくれないのであります」
これぞ幸せ!と思っているものが、
死を前にすると儚くも色あせたものになってしまう。
それは、見かけの幸福であった、と言うのです。
パスカルは、その著『パンセ』にこう記しています。
「この世に真の堅固な満足はなく、
われわれのあらゆる楽しみはむなしいものにすぎず、
われわれの不幸は無限であり、
そしてついに、われわれを一刻一刻脅かしている死が、
わずかの歳月の後に、われわれを永遠に、
あるいは無とされ、あるいは不幸となるという、
恐ろしい必然のなかへ誤りなく置くのであるということは、
そんなに気高い心を持たなくとも理解できるはずである」
私たちが楽しみとしているものも、いつか必ず死によって崩れ去る。
だから一切はむなしいのだと、パスカルは考えました。
そして、現実の人間は、その空しさをまぎらわすために、
常に気晴らしを求めている、とパスカルは言います。
ロシアの文豪トルストイは、人生のあらゆる生き甲斐もすべて
「ごまかし」だと断定しました。
「今日、明日にも病気か死が
愛する人たちや私の上に訪れれば
(すでにいままでもあったことだが)
死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。
私の仕事などは、たとえどんなものであろうと
すべては早晩忘れ去られてしまうだろうし、
私もいなくなってしまうのだ。
とすれば、何をあくせくすることがあろう?
よくも人間はこれが眼に入らずに生きられるものだ———
これこそまさに驚くべきことではないか!
生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、
さめてみれば、これらの一切が———
ごまかしであり、それも愚かしいごまかしであることに
気づかぬわけにはいかないはずだ!」
さらに、ラッセルは『幸福論』で、こう記しています。
「道楽や趣味は、多くの場合、もしかしたら大半の場合、
根本的な幸福の源ではなくて、
現実からの逃避になっている」
「趣味に熱中する楽しみ」とは、苦痛を一時的に忘れる時間つぶしと
言えるかもしれません。
飲んだ酒に酔っ払っている間だけ、借金を忘れて気持ちよくなっているのと、
同じようなもの。
悔いなき人生にしたい、と真剣に悩んだ先哲たちの言葉には、重みがあります。
私たちも、自分の生き方に悩むのは、悔いなき人生にしたい、
という思いからではないでしょうか?
どう生きればいいのか?
それは、何のために生きるのか、生きる目的が鮮明になってこそ、
知らされることでしょう。
ゴール(目的)がハッキリしていてこそ、ゴールまでどう走るか(手段)、を
考えることが出来ます。
ゴールがどこかもわからないまま、さて、どう走ろうか?
と悩むことに意味があるでしょうか?
有限の人生、時間は常に、ものすごいスピードで過去へと流れ去っています。
死を前にしても崩れない本当の幸福とは何か?
人生のゴールを知って、そこに向かってこそ、
本当に幸福に生きる道が開かれるに違いありません。
仏教には、すべての人が、本当の幸福に生きる道が教えられています。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
何か、悩み事があったとき、皆さんは、誰に相談しますか?
お父さん?
お母さん?
友だち?
それとも、職場の上司?
悩み事が尽きない人生、相談相手を持っておくことはとっても大切だと思います。
私も、幸い、相談できる先輩がたくさんいるので、アドバイスをその都度うけます。
諸先輩方の経験は、財産であり、宝ですね。
やってみないとわからないことがたくさんあります。
でも、やってからでは間に合わないことが多いんです。
大学を選ぶにしても、前もって志望する複数の大学での
学校生活を体験するわけにもいかない。
就職もそう。体は一つしかない。いろんな会社に入社してみる、
ということは出来ない。
大きな視野でみれば、人生はまさにそうですよね。
1日1日が取り返しのつかない価値をもっている。
今日という日は二度とやってこないから、やり直しがきかない。
だから、幸せ求めて生きているからには、“幸せ”を先哲の智恵に学ぶことは、
ものすごく大切なこと。
悔いなき人生を生きるためにも。
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