屈指の経営者・松下幸之助は、
「充実した人生を送るために
忘れてならないことの一つとして、
自分自身をよく知る」
ことだと言っています(『人生心得帖』)。
幸せを願う私たちにとって大事なのは、
本当の私を知ることに違いありません。
自分のことは自分がいちばん知っている、と思いがちですが、
「汝自身を知れ」
と古代ギリシャからいわれてきたように、
最も分からないのが自分自身のようです。
有名な『徒然草』には次のように書かれています。
「かしこげなる人も、
人の上をのみはかりて、おのれをば知らざるなり。
我を知らずして、外を知るという理あるべからず。
されば、おのれを知るを、もの知れる人とはいうべし」
賢そうな人も、他人のことばかりに目を奪われ、自分のことはさっぱり分からない。
自分のことも分からずに、外のことが分かる道理はない。
自己をわきまえているのを、物を知っている人というのだ。
「知るとのみ 思いながらに 何よりも
知られぬものは おのれなりけり」
の古歌もあるように、200億光年先の宇宙が分かっても、
素粒子の世界が解明されても、
30億のヒトゲノム(遺伝子)が解読されても、
依然として分からないのが私自身なのです。
私とは?
それについて、お釈迦さまは譬え話で教えて下さっています。
※例え話はこちら
※「人間の実相」のたとえ話を動画でご覧になることができます。
飢えに狂った虎は、旅人を猛然と追いかけてきます。
旅人は必死で逃げますが、どこでどう道を間違えたのか、
断崖絶壁に出てしまいます。
旅人は途方に暮れてしまったのですが、
幸いにも、断崖に一本の松の木が生えており、
その松の木に登って、虎の難から逃れようとします。
しかし、旅人は、虎が木登り出来ることに気づき、
松の木に登ることをあきらめたのでした。
さて、ここで「松の木」に例えられているのは何か?
気になるところです。
これは、
私たちが「これさえあれば幸せだ」と思っているものすべてを表わしています。
虎から逃れようとした旅人が松の木に登ることをやめたのは、
死を前にしては、私たちの望む幸福は何の力にもならない
ことを例えています。
浄土真宗中興の祖・蓮如上人は、次のようにおっしゃっています。

「まことに死せんときは、
予(かね)てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗(さんず)の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ」
(御文章一帖目十一通)
「死んでゆくときはみんな丸裸である」
と教えられた蓮如上人のお言葉です。
「まことに死せんときは」とは、いよいよ死んでゆく時。
すべての人は、生まれたからには必ず死んでゆかねばなりません。

「上(かみ)は大聖(だいしょう)世尊(せそん)より始めて、
下(しも)は悪逆(あくぎゃく)の提婆(だいば)に至るまで、
逃れ難きは無常なり」
(御文章三帖目四通)
とあるように、史上、最も尊いお釈迦さまから、
そのお命をつけ狙ったダイバダッタに至るまで、
万人の避けられない、厳粛な事実が無常です。
「予てたのみおきつる」は、今まであて力にし、たよりにしてきた、
という意味です。
私たちは日頃、何を信じ、何を求めて生きているでしょうか。
蓮如上人が、「妻子も財宝も」と示されているように、
「お金があれば」
「財産が手に入ったら」
「地位を得られたなら」
「あの人と一緒になれれば」
「マイホームが建ったら」……
と、すべての人は、各自の望むものが得られれば、
安心満足できるように思っています。
受験生が勉強にいそしみ、青年男女が恋愛に必死になり、
ビジネスマンが休日返上で仕事をするのも、
形は異なれど、幸福を求めているのに変わりはありません。
しかし、どんなに
金や財産、地位、名誉、美しい妻や優しい夫、優秀な子供に恵まれても、
遅かれ早かれ、裏切られる時が来ます。
それが臨終です。
死んでゆかねばならない、となった時には、
どれだけたよりにし、あて力にしているものでも、
無常の風の垣根にはなりません。
生木を引き裂かれるように、これら一切と別れなければならないのです。
すべてと別れてゆく悲惨な人生の末路を、
「わが身には一つも相添うことあるべからず」
とおっしゃって、
「されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ」
と、生きるために造ってきた様々な悪業(あくごう)を背負い、
暗い心でたった一人、後生へと旅立ってゆかねばならないことを表されています。
このことを、お釈迦さまは例え話で教えてくださっています。
それについては、次の機会で紹介しましょう。
(つづく)
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
お久しぶりです。
しばらく間を空けてしまいました。
元気ではあったんですが、記事を書く時間がとれなかったので、
いつの間にやら1ヶ月が過ぎていました。
ご心配をおかけしました。
さて、ちまたでは、親鸞聖人がブームです。
再来年は、親鸞聖人の750回忌ということもあるのでしょう。
ブームであることは、書店をのぞいてみると顕著にわかります。
最近、西本願寺24代門主が『愚の力』(文春新書)という本を出しました。
本の帯には、
『「悪人」とは何か?
「自力と他力」とは?
そして「愚者」とは?
親鸞の教えの全てがここにある』
と書かれてありました。
門主が本を出すのですから、力が入っていますね。
(“親鸞の教えの全てがここにある”と明記されていたので、
どこにあるのかと思って読んではみましたが、
私には見つけることが出来ませんでした)
また、作家もかなり力を入れています。
津本陽が「無量の光 ~親鸞聖人の生涯」(文藝春秋)という本を
上下2巻で出しました。
時代小説が好きな私は、津本陽の「柳生兵庫助」に感動した覚えがあります。
五木寛之も新聞で連載していた「親鸞」(講談社)を年末に本として出版します。
こちらも上下2巻です。
また、同じく五木寛之の「歎異抄の謎」(祥伝社新書)という本が、
つい最近、出版されました。
その本に、著者の五木寛之は、次のように書いています。
・・・・・・・・・・
なぜ、いま、『歎異抄』なのか
『歎異抄』には、数多く、というより、数限りない入門書や解説書があります。
それぞれ真摯な思索と、感動にみちた本ばかりです。
しかし、肝心なところが、どうしてもわからない。
たぶん自分に問題があるのだろうと諦めながら、いまひとつすっきりしないまま、
日を重ねてきました。
『歎異抄』には、人の心をぎゅっと素手でつかむような魅力があります。
しかし、くり返し読むたびに、わからなくなってくる不思議な本でもあります。
(「歎異抄の謎」より)
・・・・・・・・・・
歎異抄は、謎めいた本。
それがまた、多くの人々を魅了し続け、今もやみません。
魅惑の書、歎異抄の謎をひらく鍵、
それは実に親鸞聖人の書かれた「教行信証」にあることを、
昨年の3月に出版された「歎異抄をひらく
」(一万年堂出版)で
知ることが出来ます。
親鸞聖人の真意を知ることで、
ますます歎異抄の魅力に引き込まれていくことでしょう。
お気軽にお問い合わせください☆
「充実した人生を送るために
忘れてならないことの一つとして、
自分自身をよく知る」
ことだと言っています(『人生心得帖』)。
幸せを願う私たちにとって大事なのは、
本当の私を知ることに違いありません。
自分のことは自分がいちばん知っている、と思いがちですが、
「汝自身を知れ」
と古代ギリシャからいわれてきたように、
最も分からないのが自分自身のようです。
有名な『徒然草』には次のように書かれています。
「かしこげなる人も、
人の上をのみはかりて、おのれをば知らざるなり。
我を知らずして、外を知るという理あるべからず。
されば、おのれを知るを、もの知れる人とはいうべし」
賢そうな人も、他人のことばかりに目を奪われ、自分のことはさっぱり分からない。
自分のことも分からずに、外のことが分かる道理はない。
自己をわきまえているのを、物を知っている人というのだ。
「知るとのみ 思いながらに 何よりも
知られぬものは おのれなりけり」
の古歌もあるように、200億光年先の宇宙が分かっても、
素粒子の世界が解明されても、
30億のヒトゲノム(遺伝子)が解読されても、
依然として分からないのが私自身なのです。
私とは?
それについて、お釈迦さまは譬え話で教えて下さっています。
※例え話はこちら
※「人間の実相」のたとえ話を動画でご覧になることができます。
飢えに狂った虎は、旅人を猛然と追いかけてきます。
旅人は必死で逃げますが、どこでどう道を間違えたのか、
断崖絶壁に出てしまいます。
旅人は途方に暮れてしまったのですが、
幸いにも、断崖に一本の松の木が生えており、
その松の木に登って、虎の難から逃れようとします。
しかし、旅人は、虎が木登り出来ることに気づき、
松の木に登ることをあきらめたのでした。
さて、ここで「松の木」に例えられているのは何か?
気になるところです。
これは、
私たちが「これさえあれば幸せだ」と思っているものすべてを表わしています。
虎から逃れようとした旅人が松の木に登ることをやめたのは、
死を前にしては、私たちの望む幸福は何の力にもならない
ことを例えています。
浄土真宗中興の祖・蓮如上人は、次のようにおっしゃっています。

「まことに死せんときは、
予(かね)てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗(さんず)の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ」
(御文章一帖目十一通)
「死んでゆくときはみんな丸裸である」
と教えられた蓮如上人のお言葉です。
「まことに死せんときは」とは、いよいよ死んでゆく時。
すべての人は、生まれたからには必ず死んでゆかねばなりません。

「上(かみ)は大聖(だいしょう)世尊(せそん)より始めて、
下(しも)は悪逆(あくぎゃく)の提婆(だいば)に至るまで、
逃れ難きは無常なり」
(御文章三帖目四通)
とあるように、史上、最も尊いお釈迦さまから、
そのお命をつけ狙ったダイバダッタに至るまで、
万人の避けられない、厳粛な事実が無常です。
「予てたのみおきつる」は、今まであて力にし、たよりにしてきた、
という意味です。
私たちは日頃、何を信じ、何を求めて生きているでしょうか。
蓮如上人が、「妻子も財宝も」と示されているように、
「お金があれば」
「財産が手に入ったら」
「地位を得られたなら」
「あの人と一緒になれれば」
「マイホームが建ったら」……
と、すべての人は、各自の望むものが得られれば、
安心満足できるように思っています。
受験生が勉強にいそしみ、青年男女が恋愛に必死になり、
ビジネスマンが休日返上で仕事をするのも、
形は異なれど、幸福を求めているのに変わりはありません。
しかし、どんなに
金や財産、地位、名誉、美しい妻や優しい夫、優秀な子供に恵まれても、
遅かれ早かれ、裏切られる時が来ます。
それが臨終です。
死んでゆかねばならない、となった時には、
どれだけたよりにし、あて力にしているものでも、
無常の風の垣根にはなりません。
生木を引き裂かれるように、これら一切と別れなければならないのです。
すべてと別れてゆく悲惨な人生の末路を、
「わが身には一つも相添うことあるべからず」
とおっしゃって、
「されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ」
と、生きるために造ってきた様々な悪業(あくごう)を背負い、
暗い心でたった一人、後生へと旅立ってゆかねばならないことを表されています。
このことを、お釈迦さまは例え話で教えてくださっています。
それについては、次の機会で紹介しましょう。
(つづく)
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
お久しぶりです。
しばらく間を空けてしまいました。
元気ではあったんですが、記事を書く時間がとれなかったので、
いつの間にやら1ヶ月が過ぎていました。
ご心配をおかけしました。
さて、ちまたでは、親鸞聖人がブームです。
再来年は、親鸞聖人の750回忌ということもあるのでしょう。
ブームであることは、書店をのぞいてみると顕著にわかります。
最近、西本願寺24代門主が『愚の力』(文春新書)という本を出しました。
本の帯には、
『「悪人」とは何か?
「自力と他力」とは?
そして「愚者」とは?
親鸞の教えの全てがここにある』
と書かれてありました。
門主が本を出すのですから、力が入っていますね。
(“親鸞の教えの全てがここにある”と明記されていたので、
どこにあるのかと思って読んではみましたが、
私には見つけることが出来ませんでした)
また、作家もかなり力を入れています。
津本陽が「無量の光 ~親鸞聖人の生涯」(文藝春秋)という本を
上下2巻で出しました。
時代小説が好きな私は、津本陽の「柳生兵庫助」に感動した覚えがあります。
五木寛之も新聞で連載していた「親鸞」(講談社)を年末に本として出版します。
こちらも上下2巻です。
また、同じく五木寛之の「歎異抄の謎」(祥伝社新書)という本が、
つい最近、出版されました。
その本に、著者の五木寛之は、次のように書いています。
・・・・・・・・・・
なぜ、いま、『歎異抄』なのか
『歎異抄』には、数多く、というより、数限りない入門書や解説書があります。
それぞれ真摯な思索と、感動にみちた本ばかりです。
しかし、肝心なところが、どうしてもわからない。
たぶん自分に問題があるのだろうと諦めながら、いまひとつすっきりしないまま、
日を重ねてきました。
『歎異抄』には、人の心をぎゅっと素手でつかむような魅力があります。
しかし、くり返し読むたびに、わからなくなってくる不思議な本でもあります。
(「歎異抄の謎」より)
・・・・・・・・・・
歎異抄は、謎めいた本。
それがまた、多くの人々を魅了し続け、今もやみません。
魅惑の書、歎異抄の謎をひらく鍵、
それは実に親鸞聖人の書かれた「教行信証」にあることを、
昨年の3月に出版された「歎異抄をひらく
」(一万年堂出版)で
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