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◆越前進攻殺りくの海

長島で大虐殺が行われているとき、越前(福井県)では、

真宗門徒が信長政権を倒し、門徒の国をつくりあげるという事態が起きていました。


怒りに狂った信長は、翌、天正3年(1575年)八方からの大軍による

徹底制圧をしました。


守備の坊主、門徒衆は悲壮な覚悟で、砦に立てこもりました。


一僧侶は、

「仏法の御一大事と存じより、身命を捨てて馳走を申すまで」

と言って、決死の心情を書き綴っています。

いかに命がけであったかがよく分かります。


信長は、壊滅する門徒を見て、

一人たりとも、許すな。草の根わけてもとらえよ。

と指令しました。

「はりつけ、かまにいられ、あぶられ」

「合わせて三、四万にも及ぶべく」

と、大殺戮の流血を見て、不気味な笑みをこぼした。


「府中(武生)は死骸ばかりにて候。

 一円あきどころなく候。みせたく候」


と、怪気炎をあげている。



◆本願寺を兵糧ぜめに

近江(滋賀県)は、北陸、東海地方から、

大坂への要所を占める生命線だったため、

信長はいちはやく、手をうち、坂本、堅田の湖西方面へ、明智光秀、

金ヵ森、湖南方面に、柴田勝家、浅井、

江北方面には、木下藤吉郎秀吉を遣し、制圧に乗り出しました。


木ノ本付近の江北十ヵ寺、金ヵ森御坊、

堅田称徳寺を中心とする門徒たちは、頑強に抵抗しました。


ある僧侶は、15歳の成人前の一人息子に、


「信長は大敵だ。このたびは生きて再びかえることはないだろう。

 今後はお前が母の面倒を見て、しっかりやってくれ」


と遺言状を残しています。

信長は、木下藤吉郎に次の指令を出しました。


「商人であろうと、誰であろうと、北陸から大坂へ行かせるな。

 木之本、米原間の北国道を閉鎖し、海や陸も封鎖せよ。

 許す者がいたら、ひっとらえて殺せ。

 本願寺を干しあげよ」


大坂の包囲を強化するために、関所を立てて、妨害も始めました。


飛騨の坊主衆、総門徒にあてた顕如上人の手紙では、


「その国の門末、たえず相詰め、出精いたされ候段、奇特のいたりに候。

 かねて聞き及びの如く、丹精をぬきんいずる

 加越能(加賀、越中、能登)の門末、この頃は新関にささえられ、

 加勢の義、こころならず候」


とあり、大坂へ通ずるあらゆる街道に、関が立って通行がままならなくなっている。


関所撤廃、楽市楽座をしいて、旧来の閉鎖的経済から、

新時代を拓いた先覚者、というのが世間に喧伝される信長像。


しかし、真宗門徒には、憎悪を剥き出しにし、

臆面もなく反動的態度を取っていたのです。




 >> 浄土真宗の歴史に学ぶ 石山戦争 part-4






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