浄土真宗の先達が、命を懸けて守り抜いたものがありました。

今から約400年前のことです。

その歴史に学びます。



◆大法城石山本願寺


明応5年(1496年)、蓮如上人が、親鸞聖人の教えを伝える法城として

建立されたのが、有名な摂津石山本願寺です。


それ以来、親鸞聖人の教えを求める人は全国から群参、

石山は大発展し、戦国諸大名も無視できない一大勢力となりました。


『信長公記』に描かれているその様子は、


「大坂は、凡そ、日本一の境地なり。

 (中略)

 西は滄海満満として、日本の地は申すに及ばず、

 唐土・高麗・南蛮の舟、海上に出入り、

 (中略)

 隣国の門家、馳せ集まり、加賀国より城作りを召し寄せ、方八町に相構え、

 ここに一派(本願寺)、水上の御堂(石山御堂)をこうこうと建立し、

 (中略)

 仏法繁盛の霊地に在家を建て、甍を並べ、軒を継ぎ、福裕の煙厚く、

 ひとえにこの法を尊び、遠国波島より、日夜朝暮、仏詣の輩道に絶えず」


親鸞聖人の教えを聞き求め、そして伝えていく法の城として、

大繁盛していたのが石山御坊でした。



◆浄土真宗を憎んだ織田信長

しかし、浄土真宗の拡大に呼応して、疑謗破滅の嵐は激しく荒れ狂います。

浄土真宗の教団を完全に滅ぼそうと、執念を燃やした男がいました。

織田信長です。

永禄3年(1560年)、桶狭間に、今川義元をうち破り、名乗りをあげて以来、

破竹の勢いで美濃、近江の諸大名を屈伏させて、

一躍、天下取りをめざした織田信長は、民衆の絶大な崇敬を集める本願寺には、

我慢がならなかったのです。


「本願寺を倒さずして、天下は取れぬ」


「日本一の境地」であった大坂本願寺に、

軍勢の通行・駐留、矢銭(軍資金)の調達、寺地の明渡しを求めたのでした。




>> 浄土真宗の歴史に学ぶ 石山戦争 part2




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