私が仏教講師となり、最初に立った地が広島でした。

その広島で、私が大変お世話になったSさん(広島市内在住)は、被爆体験者です。

毎月、広島県から富山県に、仏法を聞きに来られます。

その方の体験手記を紹介します。



ひまわり日記・親鸞会の講師の一人はこんな人-原爆ドーム

広島の原爆については、手記、絵画、写真・映画など、

すでにたくさんの記録があります。

しかし、被爆した人の多くは、そのどれもが、

自分の体験したこととは懸け離れていると感じています。


「あの日の光景は、もっともっとひどいものでした。

 それは到底、言い表すことはできません」


Sさんは原爆投下時、爆心地からわずか2.3キロの地点にいました。

一瞬にして都市が消え、粉塵の中に現れたのは、

まさに『往生要集』の地獄絵そのものでした。







昭和20年8月6日月曜日。


それはいつもと変わらぬ朝だった。

B29は連日、本土を爆撃していたが、

広島はなぜか空襲を免れ、どこかのどかな空気さえ流れていた。

“その瞬間”が来るまでは──。



吉島町にある倉敷航空機株式会社広島製作所に勤めていた

Sさん(当時20歳)は、いつもどおり8時に出勤し、同僚たちと朗らかに

朝の挨拶を交わしていた。

「さあ今週も頑張ろう!」

課長の朝礼が終わり、8時半の仕事開始に間に合うよう、

机で墨をすっていた時である。


何万ものカメラのストロボが一斉にたかれたような閃光と、

百雷のような爆音、窓ガラスがいっぺんに砕け、

辺りは一瞬、真っ暗になった。


ひまわり日記・親鸞会の講師の一人はこんな人-広島原爆
(写真:ウィキペディアより)

反射的に机の下に隠れると、

ゴォーッとまるで地の底がうなるような轟音とともに、

周りじゅうの物がなぎ倒された。



「大丈夫か!」

上司から腕を揺り動かされて我に返ると、

部屋じゅうが引っ繰り返されたように散乱している。


外の様子を見に行った上司が、帰るなり深刻な面持ちで言った。


「外に出れば驚くだろうが、落ち着いて防空壕へ行きなさい」


朝なのになぜか夕暮れのように薄暗い。恐る恐る外へ出て声を失った……。

“広島”が消えていた。


そこで見た現世と思えぬ惨状を、つぶさに書くのは控えたい。

ただ爆発時、何が起きたかを簡単に書くにとどめる。


爆発点の温度はセ氏100万度を超え、

約10秒間、直径280メートルの火球ができ、

爆心地付近の地表温度は4000度に達した。


さらに爆発点は数十万気圧という超高圧で衝撃波が生じ、

その後を追って音速を超える秒速500メートルの熱風が地表を吹き抜けた。

その時、爆心地を中心に、一時、真空に近い状態が発生したという。

35万の老若男女が巨大な溶鉱炉に入ったようなものである。


家族が、同僚が、恩師が焼かれ、たたきつけられ、

性別も不明な、黒く膨れ上がった異形の生き物と化したさまは、

どんな形容も及ばない。

その夜、市街地はずっと燃え続け、空を真っ赤に焦がしていた。

急ごしらえの救護所には、何千という被爆者がうずくまりただ死を待っている。


「熱いよ、熱いよ」


「水をくれ」


膿血の異臭と呻きの中で、飲まず食わずで手当てに駆け回ったが

焼け石に水である。


廃虚の空に、上弦の月が一つかかっていた。


「アメリカの馬鹿やろう!」

思わずそう叫んでいた。


被爆者を置いて帰るに帰れず、何日も着た切りで看護に当たる。



戦争が終わり、やっと実家へ帰ると、途端に40度の高熱が20日ほど続いた。

残留放射能による原爆症だった。


どこで聞いてきたのか、母Hさんが、柿のシブが効くと言い、

嫌がるSさんに無理やり飲ませ続けた。

すると本当に熱は下がり、死の淵から生還できた。


「この命は母の看病あればこそ。

 昭和57年、高森顕徹先生 と出会った時、

 真っ先に聞かせたいと思ったのも母でした」


2年後、広島での高森顕徹先生のご法話に母と参詣。

強信な母は、

「今まで寺で聞いてきた話は全部だめだった。

 この教えが真実じゃった」

と涙を流した。


10年前、Hさんが亡くなる時、周囲が驚くような声で、

「ありがとうございました。ありがとうございました」

と、息の切れるまで叫び続けたという。

やっと恩返しができたと涙があふれた。


戦後の著しい復興で、市内の風景は、

あの「光景」がまるで「なかった」ように淡々と流れていく。

だがそのアスファルト下には、おびただしい白骨が眠っている。


その物言わぬ声が聞こえるたび、なぜ生き永らえたか、

その意味を問わずにおれなかった。


「75年間草木は生えないといわれた広島も、今は花が咲いています。

 この逆謗(ぎゃくほう)の屍に信楽(しんぎょう)の花を咲かせる、

 それが私のたった一つの願いです」


■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■



ひまわり日記・親鸞会の講師の一人はこんな人-クロスランドタワー

金曜日は、富山県小矢部市クロスランドおやべ

昼、夜と、勉強会をさせて頂きました。


この日は「後生の一大事」について話をしました。


すべての人に、死ねば取り返しのつかない一大事のあることを、

お釈迦さまは教えられています。

これを「後生の一大事」といわれます。


この「後生の一大事」を解決することが、仏教を聞く目的です。


仏教は、この「後生の一大事」を知るところから始まり、

「後生の一大事」の解決で終わる教えです。


ですから、「後生の一大事」とはどんなことかを知らなければ、

仏法は何十年聞いても分かるものではないのです。


参加された70代の男性と、休憩時間に話をしますと、

「仏教の教えを知ったのはここが初めてだ」

と言われました。


寺参りをされ、説教を聞いてこられた方なのですが、

「教えを知ったのは初めて」と言われて、「なぜ?」と思いました。


私自身は、寺での説教は、ほとんど聞いたことがありません。

ですから、何が話されているのか、そこに行った人から耳で聞くだけです。


もし、本当に、教えが説かれていないとすれば、それは非常に残念なこと。

「正信偈の意味が知りたい」という声をよく聞きます。

親鸞聖人750回忌も近づいています。

親鸞聖人の教えを、皆さんにお伝えしていかないといけませんね。

(*^-^)




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