敗戦から64年が経ちます。
戦争体験者の多くは80歳を超えています。
長崎に住む私の祖父も、89歳。もちろん、戦争体験者です。
「テレマカシ」(Terema kasih)
は、私が小学生のとき、祖父から聞いた言葉。
マレーシア語で、「ありがとう」という意味の言葉です。
祖父は海軍で、第2次大戦中、東南アジアの方に行っていました。
その時に覚えた言葉だと祖父は言います。
現在、富山県で親鸞聖人の教えを学ぶKさんは、84歳。
「私の戦争はまだ終わっていません。
あのころのことは鮮明に覚えています」
と語るKさんに、戦争体験を聞かせてもらいました。
朝鮮鉄道で働く父の元、大正13年、
平壌(ピョンヤン)に生を受けました。
12歳の時に盧溝橋(ろこうきょう)事件が起き、
日中、日米戦争へと拡大、華やかな「青春」などカケラも、ありませんでした。
昭和20年8月8日、ソ連がいきなり侵攻し、周囲はたちまち戦争状態に。
皆が安全な地へと逃げる中、
お年寄りや幼子は集団で置き去りにされ、
何千もの戦争孤児が生まれました。
「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」(歎異抄)
わが子を捨てる人もあり、極限状態の人間は
どんなことをするか分からないと肌身にしみました。
8月15日の敗戦を境に、日本人の家はしらみつぶしに略奪や暴行を受け、
私の家族も収容所に入り、鉄条網に囲まれた生活が始まったのです。
零下18度にもなる極寒の中、朝6時から夕方5時まで
セメント工場で強制労働です。
昨日まで社長、課長だった人も現場で働かされました。
間もなくソ連の司令部が置かれ、
ソ連将校の会議の日にはジープが横付けにされ、
日本人女性が駆り出されました。
その日が来ると、18歳の私は床下に隠れたり、
畑に身をうずめ一晩過ごした日もありました。
大人たちが
「万一の時は日本女性として死を選びなさい。
戦争に負けた、これが運命なのだから」
と言うのをよく耳にしていました。
潔く死ねば、ソ連軍も驚き少しは改めるかと思い、
アヒ酸をのんで自殺を図りましたが死に切れずに泣きました。
その後、身の安全を考えた父の判断で、ソ連の将校と結婚。
「自分が朝鮮に来たためにすまん、すまん……」
と、父は声を詰まらせました。
初めて見た父の涙でした。
しばらくして家族は、38度線の開城(かいじょう:ケソン)を目指し
夜中に脱出したと聞き、ただ無事を念じるのみでした。
1年後、夫に北部の興南港に連れて行かれました。
モスクワへ渡るのかと覚悟をしたら、
最後の輸送船「大安丸」に乗って日本へ帰れというのです。
複雑な心境で夫と別れ、乗り込みました。
定員1,000人の船に3,000人がすし詰めになり、
3日間飲まず食わず、船酔いで苦しんだことは忘れられません。
何とか佐世保に到着し、島根で家族との再会を果たしました。
帰国後も苦難続きの人生で、国を恨み、親や夫を憎み続けの50年でしたが、
平成9年、チラシをご縁に親鸞聖人のみ教えを知らされたのです。
因果の道理をお聞きし、他人を恨むはお門違い、
一切は自分のまいた種と知らされると心がスーッと楽になりました。
苦悩渦巻く人生も、阿弥陀仏に救われ
未来永遠の幸せに生かされるためにある、
すべてはこの真実に出遇うためだった。
あぁ、生きてきてよかった。
お父さんお母さん、ありがとう。
今は心から言えます。
何の間違いか、戦渦くぐり抜け仏縁に恵まれ、富山に来て1年がたちます。
「必ず救う」ものすごい無上仏(むじょうぶつ:阿弥陀仏)のご念力で、
真実へ導かれている、と感謝せずにおれません。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
戦後64年……、と言っても、昭和50年生まれの私は、
まったく戦争を知りません。
戦争を経験した祖父母から、その話を聞いたことはありますが、
小学生の頃だったので、うろ覚えです。
89歳の祖父とは、今も、時々、電話で話をします。
でも、戦争の話はしません。
祖父と私の共通の話題は、“仏教”。
時々、私が購読している月刊誌を祖父に贈っています。
10月号は、歎異抄の特集でした。
※発行元のサイトで無料見本誌が手に入ります。
http://todoroki.tulip-k.jp/present/index.html
皆さんは『歎異抄』をご存知ですか?
10月号の特集には、多くの有名な哲学者や作家が
『歎異抄』絶賛していることが紹介されていました。
★西田幾多郎(にしだきたろう)
「いっさいの書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」
(第二次世界大戦末期、空襲の火災を前に)
《西田幾多郎(明治3~昭和20)》
日本を代表する哲学者。
京都大学で永年教鞭を執り、多くの優秀な哲学者を育てた。
その哲学体系は「西田哲学」と呼ばれ、主著『善の研究』は、
かつては学生の必読書だった。
★三木清(みききよし)
「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」
《三木清(明治30~昭和20)》
西田哲学の流れをくむ京都学派の代表的な哲学者。
ドイツに留学し、ハイデガーにも師事した。
戦時中に投獄され、刑務所で論文『親鸞』を執筆中に獄死。
「ぼくは親鸞の信仰によって死ぬだろう」と語っていた。
★倉田百三(くらたひゃくぞう)
「歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい。
(中略)文章も日本文として実に名文だ。国宝と云っていい」
《倉田百三(明治24~昭和18)》
『歎異抄』から深い感動を受けて著した戯曲『出家とその弟子』は
大ベストセラーになり各国で翻訳。
フランスの文豪ロマン・ロランが激賞したことでも有名。
★ハイデガー
「今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異抄を読んだ。
弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけりとは、
何んと透徹した態度だろう。
もし10年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、
自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中に拡めることを
生きがいにしたであろう」
《マルティン・ハイデガー(1889~1976)》
20世紀最大の哲学者といわれる。
晩年の日記に、『歎異抄』について上記のように記したといわれる。
『歎異抄』は、多くの人々の心をつかんで離しません。
『歎異抄』の真意は、親鸞聖人の書かれた
『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)によって明らかになります。
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