【浄土真宗の歴史に学ぶ】
■山科本願寺建立(6)
壮大な山科本願寺の建立は、
浄土真宗の流れを、どのように変えたのでしょうか。
蓮如上人、ご幼少の頃の本願寺は、
京都東山に小堂を構えるに過ぎませんでした。
それに反して、
仏光寺派、木辺派、高田派などの浄土真宗他派は、
数の上ではずっと優勢でした。
中でも、最大勢力を誇っていたのが仏光寺です。
しかし山科本願寺の建立を境に、浄土真宗の流れは、大きく転換してゆきます。
山科本願寺へは、全国各地から参詣者が集いました。
「その数、幾千万ともしれず」
と、『御文章』に記されています。
山科本願寺の繁栄は、真宗他派の本山に、衝撃を与えずにおきませんでした。
なぜなら、門徒が次々に、蓮如上人を慕って離脱していったからです。
仏光寺にしてみれば、門徒を奪い取ってゆく本願寺が憎いに決まっています。
しかし、13代法主、性善(しょうぜん)の後継者である
経豪(きょうごう)は、疑問をいだきはじめていました。
「なぜ門徒が本願寺になびくのか。
父は、口を開けば
『仏光寺に間違いはない。本願寺は異安心じゃ。
そのうち失速するに決まっている』
と言っているが、もしかしたら
本願寺の蓮如の言うことが正しいのかもしれない」
そんな思いを持ちながらも、法主の後継者という立場上、
下手に動いたならば、一族郎党の非難は免れ得ない。
どうすればいいのか?
そうこうしているうちに、13代法主、性善が死にました。
その後、14代法主の座に就きますが、
「どちらが本当の親鸞聖人のみ教えか、
ハッキリさせたい」
の思いはしばらくもやむことがありませんでした。
ついに、経豪は意を決し、自ら、本願寺へと参詣し、
蓮如上人のご説法を聴聞したのです。
初めて会うのに何か懐かしさを感じさせる上人のお徳、
そして初めて聞く本当の親鸞聖人のみ教え……。
何もかもが違うと感じはじめていました。
聞法を重ねるにつれ、その思いは一段と強くなっていきました。
やがて、これが本当の親鸞聖人の教えだったのか、と知らされたのです。
心の中に立った波が一段と激しさを増し、
己の内奥で、真実の大津波が起きている現実に、経豪は驚愕していました。
「ああ、仏光寺は親鸞聖人のみ教えに反する
まったくの異安心であった。
私だけでなく、門徒一人一人に後生の一大事がある。
自分は今、法主として何をなすべきか」
もはや、考える余地はありません。
誤った親鸞聖人のみ教えを大衆に話してきた罪咎を償うには、
自らが正しい教えを学び、門徒に伝える以外にない。
経豪に、一大決心が固まっていました。
転向です。
自分だけではなく、一人でも多くの仏光寺門徒を引き連れて……。
当時、仏光寺には48人の幹部がいました。
それぞれが、多くの末寺、門徒を統括しているブロック長です。
経豪は、彼らを集めて諄々と説きました。
「私は、法主の座を捨て、一求道者として蓮如上人の教えを請う。
必堕無間の一大事の前に、見栄や外聞など問題ではない」
この時、実に、48人中、42人の幹部が経豪に従ったといいます。
仏光寺門徒のほとんどが蓮如上人のもとに帰属したのです。
(つづく)
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