【浄土真宗の歴史に学ぶ】
■山科本願寺建立(5)
ここは比叡山、根本中堂。
薙刀を手に、僧兵がひしめいています。
果たせるかな、報恩講(ほうおんこう)阻止へ動き出したのです。
「本願寺を撃破せよ」
「神仏を軽んずる輩を許すな」
すでに議論は沸騰、出撃態勢にありました。
もとより、修行より争いごとが好きな連中です。
蓮如上人が京都近郊の山科に、本願寺再建を号令された時から、
「よくも懲りずに」
「今度こそ、命もろとも」
と、手ぐすね引いていたのです。
しかし、直前になって沙汰やみとなりました。
あれだけ蓮如上人を恨んでいた山門がなぜ?
人々はいぶかりました。
ある者は言う。
「蓮如上人が建立された山科本願寺は、四方を、土塁と堀で囲まれている。
あれは寺というより城だよ。
難攻不落の城塞だ。
100人や200人の僧兵じゃ、とても焼き打ちなんて無理な話さ。
長老が無鉄砲な襲撃を止めたのも当然だよ」
いずれにせよ、もはや、比叡山の悪僧たちは、
蓮如上人の卓抜した政治力の前に、行動を封殺されてしまったのです。
それほど、当時の本願寺教団が、
日本の仏教界で、大きな存在になっていたことが伺えます。
山科に本堂が完成して初めての報恩講が、
11月21日から、無事に営まれました。
28日までの7日間、真実の仏法を求め、
全国から門信徒が群参、かつてない規模の報恩講となりました。
その後、諸堂、大門、堀などの工事が着々と進められました。
かくて、5年の歳月をかけ、威容堂々たる山科本願寺が落成したのです。
文明15年8月、蓮如上人、69歳の御時でありました。
「寺中は広大無辺、荘厳ただ仏国のごとし」
と、当時の人々を驚かせたといいます。
では、壮大な法城建立は、
浄土真宗の他派に、どのような衝撃を与えたのでしょうか。
>> 蓮如上人に学ぶ 山科本願寺の建立(6)
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