【浄土真宗の歴史に学ぶ】
■山科本願寺建立(2)
「実に広大な土地でございますぞ」
蓮如上人をご案内して、先に立つ道西。
彼の足は勇み立っている。
やがて、山科へ着かれ、一巡された蓮如上人は、
「良い所を知らせてくれた。
自然に恵まれ、人里離れた静かな環境といい、
聞法道場としては最適な場所だ。
この地に、真実の大殿堂を建立しよう」
と決断なされた。
道西は、躍り上がった。
土地の所有者は、出口御坊へよく参詣する海老名五郎左衛門である。
「上人のお気に召せば、いつでも財施したい」
と、前々から申し出ているので話は早い。
「道西よ、さっそく山科へ移るとしよう。
早々に工事にとりかからなくてはな」
上人の仰せに、道西は、
「まず、山科に仮のお住まいができるまでお待ちくださいませ」
と、しきりに申し上げるのであったが、聞き入れられる上人ではない。
20日後には、もう、お弟子を連れて出口から移ってしまわれた。
付近の農家に分宿され、蓮如上人、自ら、
建築工事の指揮をとられるのである。
時は、いまから500年もさかのぼる室町時代。
ブルドーザーやトラックなど、あろうはずがない。
土地造成も人力。
建築用材を運ぶだけでも、大変な日数を要した。
土地を財施した海老名五郎左衛門だけでなく、
全国の門信徒の尊い志、労力奉仕あればこそ進む大事業である。
翌、文明11年(1479)には、庭園と蓮如上人のお住まいが完成。
次は、本堂の建設である。
本堂は、蓮如上人がご説法される所であり、最も大切な建物である。
しかも、ただ徒に威容を誇ることが目的ではない。
参詣者一人一人が、善知識(仏教を正しく教えられる先生)のご説法を
真剣に聴聞できる条件を完備しなければ意味がない。
吉野の山奥から、棟木となる大木が切り出され、
年末には、すべての用材がそろった。
しかし、蓮如上人は慎重を期された。
いきなり本建築にかかられず、
先に、設計図どおりの模型(三畳敷)を作られ、
細部にわたる検討を重ねられた。
建築工事が本格的に開始されたのは、
明けて文明12年(1480)2月3日からであった。
◆本堂が落成◆
「みるみる工事が進んでゆく」
「10日前とは大違いだ」
本堂の建築が始まって以来、
近隣諸国の門徒が、代わる代わる手伝いに訪れる。
仕事の都合をつけての参加であるから、長期滞在はできない。
山科と自宅の往復。
そのたびに、感嘆の声がもれるのである。
翌月の28日には、
もう巨大な建造物の骨組みができあがり、棟上(建前)が行われた。
以後、内部の工事も順調に進み、
8月28日、ついに本堂が落成したのである。
蓮如上人の喜びは、いかほどであったろうか。
『御文章』には、こう記されている。
誠よろこびは身上にあまりて祝着千万なり。
うれしくもとうとくも思い奉る間、其夜の暁き方までは、
ついに目もあわざりき。 (帖外御文)
全身、喜びにつつまれ、
明け方まで眠ることができなかったと仰有る蓮如上人。
道西はじめ、諸国門徒の心中も、同じであったに違いありません。
>> 蓮如上人に学ぶ 山科本願寺の建立(3
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