【浄土真宗の歴史に学ぶ】
■山科本願寺建立(1)
戦乱の世において、親鸞学徒 が安心して聞法できるようにと、
蓮如上人が精魂を傾けて造られた聞法ドメインが山科本願寺です。
聞法ドメインとは、ドメインとは、拠点・領域をあらわします。
親鸞聖人の教えを聞き、学び、語り合って、
ともに人生の目的 (人界受生の本懐)を果たすための場所が、
聞法ドメインです。
前回まで、500年前の聞法ドメイン、
吉崎御坊と山科本願寺について少し紹介しましたが、
山科本願寺建立について、もう少し詳しく紹介したいと思います。
蓮如上人が43歳で、
本願寺8代法主に就任されたとき、本願寺は京都にありました。
しかし、急速な発展をねたんだ比叡山延暦寺の襲撃を受け
破壊されてしまいます。
以後、僧兵の迫害を避けながら、蓮如上人は、
琵琶湖沿岸、北陸の吉崎で、命がけで、親鸞聖人の教えを伝えていかれました。
しかし、またもや政情不安から吉崎御坊退去を余儀なくされた蓮如上人は、
61歳の時、大阪に出口御坊を建立され、
新たな布教基地とされたのです。
◆限界を超える出口御坊◆
「とても座れそうにない」
「玄関や縁側まで、ぎっしりじゃないか」
それでも、蓮如上人のご説法が始まると、みな、真剣な聴聞姿勢に変わる。
ここは、河内国(大阪府)、淀川べりの出口御坊……。
吉崎から出口へ移られた蓮如上人は、ここに仮の寺を建立され、
畿内各地の布教に全力を注がれました。
文明10年(1478)1月8日。
この日の聴衆の中に、
金森(かながもり)の道西(どうさい)の姿がありました。
ご法話の後、道西は、蓮如上人のお部屋にうかがいました。
「上人さま、遠国から参詣の同朋も、
本堂に入りきれず残念がっております」
「さよう、この草坊も、もう限界じゃ。
参詣の面々が、一堂に聞法できる
大殿堂を建立せねばならぬのう」
「それはもとより、一同の願いであります」
「しかし、ふさわしい土地があろうか」
この時、比叡山の僧兵の暴挙が、蓮如上人の脳裏をよぎったに違いありません。
道西、ここぞとばかり、
「ございますとも、あの僧兵の襲撃から13年。
その間、この道西、
本願寺再建の地を探し求めてまいりました」
道西が蓮如上人におすすめした大殿堂建立の地……、
それは、山城国宇治郡山科でありました。(現在の京都市山科区)
語気を強めてさらに言います。
「山科は、京の都に接しております。
その上、東海、北陸から京へ入る
いくつもの街道が集まる要衝であります」
まさに、交通至便、全国からの参詣者が集うには、絶好の地でした。
「是非、近日中に、ご検分くださいませ」
「いや、近日といわず、明日行こう。道西、案内してくれるか」
蓮如上人の熱い心に、道西の感激はひとしおであった。
翌日早朝、蓮如上人は、道西、一人を供に、山科へたたれたのでした。
>> 蓮如上人に学ぶ 山科本願寺の建立(2)
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