(知人が撮影した富山県の雨晴海岸の日の出)
「生きる意味なんて、人それぞれでしょ?」
「その人その人の
考え方や価値観によるんじゃないの?」
「生きる意味って何だろう?」
「何のために生きるんだろう?」
そう悩む人に答えるフレーズとして、最も多い言い方かもしれません。
「生きる意味」を問題にした話題、ネット上の議論、本や雑誌の内容を読んで、
最も多い意見が冒頭のものではないでしょうか。
私もかつて同じように考えていました。
人生は、自分が意味づけするものなのだろうな、と。
勉強を一生懸命やったり、
仕事にがんばったり、
趣味や生きがい、
友人や家族との人間関係など、
いろいろなことを通じて、
自分の人生が意味づけされてくるのだろうな、と思っていました。
でも、その人生観に対して
「これでいいのかな?」
と思うことがたびたびありました。
「苦しくても、なぜ生きなきゃいけないの?」
という問いを突きつけられたとき、
その人生観は、まったくもって無力と感じたからです。
「生きる意味」が
その人自身の自由な価値観で
意味づけされるとしたら……。
「意味づけする」という言葉自体、
プラス思考的なニュアンスを持つので、何の疑問も持ちませんでしたが、
「意味なんてないよ」と言われたとき、
或いは、
自分が思ったとき、
何も返す言葉がありません。何の説得もできません。
自分の大切な人が、
「私の人生に、意味なんてないよ。だから生きるのをやめる」
と言ってきた時、
「そんなことないよ。
がんばって生きれば、きっと何かいいことあるし、
意味も感じられるよ」
と言い返しても、
「生きる意味は人それぞれ。
その人その人の考え方や価値観によると言ったのはあなたでしょ?
だから、私は“意味なんてない”って意味づけしたの」
と言われたら終わりです。
とても苦しいことがあって、
「何でこんなつらい人生、生きなきゃいけないのかな?
どうせ死んじゃうんだし……」
そんな思いにかられた時、
「今やってることがバカバカしくなってきた……。
何でこんなに一生懸命やらなきゃいけないの?
生きてる意味ってあるのかな……?」
自問自答するうちに、意味があると思えていたことに、
虚しさや無意味感を抱くようになったら、
「それでも意味がある」と自分自身を説得できるでしょうか?
「生きる意味なんてない」と意味づけしている人にとって、
他人の命を奪うことは何でもないことです。
公判の席で
「蚊を殺すのと、人を殺すのとはどこが違うか」
とうそぶいた殺人犯がいましたが、
人の命に対して、そのような価値観を持っている人なのでしょう。
しかし、「生きる意味は、自分で意味づけするもの」という人は、
この殺人犯に対しても、肯定せざるをえないのです。
多くの人が自ら命を絶っています。
日本だけでも年間3万人以上。
世界では、毎年100万人もの人が自殺をしていると言われます。
一概には言えませんが、その中には、
「苦しみをガマンして、これから一生懸命生きていっても意味がない」
と感じた人は多かったに違いありません。
芥川龍之介、太宰治、川端康成といった文学者、
日本の知性と言われた文芸評論家の江藤淳のような、
多くの人に影響を与えた人の中にも、自ら命を絶った人があります。
「彼らほどの人が、
自分の人生に意味づけ出来なかったのだろうか?」
という疑問がわきおこると同時に、
「彼らでさえ出来なかったのに、
自分は、自分の人生に意味を見出すことは出来るだろうか?」
という思いが出てきます。
「そんなこと考えるからダメなんだ」
「考えなくったっていいじゃない」
そんな声も聞こえてきそうです。
「悔いを残したくない」
「この人生を、心から満足のゆくものにしたい」
という前向きな思いから真剣に悩んでいる人に、
「考えない方がいい」というアドバイスはいかがなものでしょう?
自分が真剣に悩んでいるときに、
「悩みすぎじゃない?」
「考えない方がいいよ」
と言われたら、「他人事だと思って……」と嫌悪感を抱く人もあるでしょう。
そしてまた、
「人生の意味なんて考えない方がいい」という人は、
その意見に対してどれほどの責任を持っているのか?
ということも考えねばならないでしょう。
プロ野球チームのどこを応援するのか?という問題とは次元が違います。
そのひと言が、その人の一生を左右することになるかもしれないのです。
「生きる意味」は、
価値観で片付けられる問題ではありません。
「命」の意味を考えてみれば、より鮮明になることでしょう。
「あの人の命は軽い」
「この人の命は重い」
というようなことは思わないでしょう。
万人が、等しく重い命だと誰しも思うのではないでしょうか?
山奥で、土砂に埋もれた人を、
レスキュー隊が懸命に救助しようとするのも、その命が重いからでしょう。
「埋もれた人は、もう90歳近い人だそうだ。
助け出したとしても、長くてあとどれくらい生きられるだろう。
助けるまでもないんじゃないか?」
そんな意見に誰が同調できるでしょうか。
能力や才能にかかわらず、障害の有無も関係なく、
老若男女問わず、人の命は重い。
それはわかるが、では、なぜそう言えるのか?
なぜ、人の命は重いのか?
やがて必ず散り行く命、そうまでして生きる意味は?
苦しくとも生きねばならぬ理由は何か?
生きる意味への解答は、
これらの問いを満足させるものでなければならないでしょう。
ある哲学者は、こんな言葉を遺しています。
「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。
自殺ということだ。
人生が生きるに値するか否かを判断する、
これが哲学の根本問題に答えることなのである」
人類永遠のテーマです。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
重たいテーマを扱っています。
人生観にふれる内容には、意見の衝突は避けられないのですが、
特に昨今、自殺が社会問題となっていますので、
その解決に向けては、必ず向き合わねばならないテーマです。
そして、それは決して他人事ではないので、
社会全体で問題にし、取り組まねばならないことだと思っています。
いろいろ意見が出て、議論をし、お互いが理解を深め合っていくことは
大切なことだと思います。
「なぜ生きる」を問い続けていきたいと思います。
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