法名は、いったい何のためにあるのか?
その疑問に、今回、お答えしたいと思います。
法名は最初に「釈」の字をつけます。
親鸞聖人もよく、ご自分のことを
「愚禿釈(ぐとくしゃく)の親鸞」
とか
「愚禿釈の鸞」
とおっしゃっています。
これはお釈迦さまの「釈」の字を頂いて、
釈尊のお弟子、
つまり仏弟子(ぶつでし)にしていただきましたという意味なんです。
女性なら釈尼(しゃくに)と言います。
でも、私たちは僧侶になるわけじゃないし、
いつ、仏弟子になるのか、
疑問に思われるでしょう。
親鸞聖人は、
「この信心の人を『真の仏弟子』といえり」
と『末灯鈔』(まっとうしょう)におっしゃっています。
真剣に仏法を聞き求め、
信心決定(しんじんけつじょう)、
つまりこの世で阿弥陀如来に救い摂られた時に、
私たちは「真の仏弟子」にしていただけるということです。
「真の仏弟子」と言われると、
ちょっとおこがましい気がする、と言われる方もあるかもしれません。
しかし、お釈迦さまは、阿弥陀仏に救われた人を
「わがよき親友なり」
“私の親しい友達である”
とまでおっしゃっているんです。
それは、お釈迦さまを含めて大宇宙のあらゆる仏方が
師匠と仰ぐ仏さまが阿弥陀仏であり、
自分の師匠である阿弥陀仏に救われた人だから
「親友」と言われるんです。
お釈迦さまの親友にしていただいたら、何がどう変わるのか、気になると思います。
阿弥陀仏に救われ、信心決定した人は、
心がガラッと大変わりします。
親鸞聖人の命を付け狙った山伏弁円(べんねん)は、
親鸞聖人の教えに導かれ、
「山も山、道も昔に変わらねど、変わりはてたる我が心かな」
と歌っています。
「心が変わりはてた」と言っていますね。
信心決定とは、恨みのろいの人生が、光明輝く人生に転ずる、
心も言葉も絶え果てた驚天動地の世界です。
そんな素晴らしい身に生まれ変わった弁円は、
聖人から明法房(みょうほうぼう)という法名を頂いています。
こんな歌もあります。
「熊谷が、うって変わって蓮生房(れんしょうぼう)、
変われば変わるものにこそあれ」
『平家物語』の「敦盛の最期」で有名な熊谷直実のことです。
坂東の荒武者と恐れられ、
合戦で、ダイコンを切るように人の首をはねていた男です。
その熊谷が、法然上人のお導きで、弥陀の本願に救い摂られ、
たちまち仏弟子に生まれ変わりました。
その時、法然上人から頂いた法名が蓮生房(れんしょうぼう)でした。
本来、弥陀に救われた人が、教え導いて下さった
善知識(ぜんちしき:仏教を正しく伝えてくださる先生)から頂くのが法名です。
ですから、信心決定して本当の法名を頂ける
「真の仏弟子」になることが最も大切なんです。
成仏や極楽往生を願って死者に戒名、法名をつけてもらっても、
亡くなった方の後生とは無関係です。
では、なぜかくも戒名や法名をつけてもらうのに、
高額のお金を出さないといけないのか?
残った疑問にもお答えしておきましょう。
通夜にやってきた住職が、「○○院釈○○」と書かれた法名を遺族に見せて、
法外な料金を請求し、一同、呆れ果てたという話があります。
住職自身、法名や戒名を付けたからといって、
故人が「死後、極楽往生している」とは思ってはいないでしょう。
それでも、戒名料をなくせないのは、寺院側の事情によります。
年毎の門信徒の激減で、寺の財政難は、今や、深刻を極めています。
それ故、寺院収入の4分の1を占める戒名料で、
生活のやりくりをしている状態なのです。
もちろん、すべての寺院がそうだとは言いません。
しかし、テレビや週刊誌でも批判を受けるほど、
その堕落ぶりはひどいという現状を反省しなければならないでしょう。
浄土真宗の僧侶ならば、
まず、親鸞聖人のみ教えを自分自身が正しく学び、
それを正確に門徒の皆さんに伝えるべきです。
浄土真宗の僧侶の仕事は、葬式でも法事でも墓番でもありません。
「わたくしは、何ということなく、親鸞がすきだ。
蓮如がすきだ。すき、嫌いでいうのはへんだけれど、
正直な表現でいえば、そうなる」
と語ったのは、作家・吉川英治氏です。
50年前、吉川英治氏は、浄土真宗の現状を、次のように嘆いています。
「たとえば、敢て、本願寺とあきらかにいうが、
その本願寺が、四世紀にもわたる長い間、
今日までの栄誉と、荘厳と、安住と、尊敬とを、世表のうえにうけてきたのは、
ひとえに庶民の力によるものではなかったろうか。
平たくいえば、信徒の親代々、家代々の浄財による支持、素直なる尊敬、
それであった。
なぜことしも、蓮如の大遠忌などをやるのだろう。
いや、大遠忌はけっこうである。
が、依然たる大伽藍の荘厳と、儀式と、むなしい法会修行の群集を
ほしがるような形式を捨てないのであろうか。
私には、わからない。
仏教の慈雨は、そんなことで降らないとおもう。
仏教のさかんとは、そんな作った光栄や、演出ではないとおもう。
目には見えず、しかも急速に、真宗崩壊の音が、どこかでするばかりである。
本願寺のもつ使命の晩鐘とならなければ倖せである。
私はもう、歯に衣着せずに言っておく。
今にして心から醒めなければ、ああ勿体ない、
本願寺は、地上からなくなるだろう」
親鸞聖人の教えを正しく伝えて、
どうして喜ばない人があるでしょうか。
生きる目的をハッキリ示された親鸞聖人の教えを知りたい人、
学びたい人は、世にあふれています。
自らの生活が立ち行かない根本原因は、門徒の数でも、
お布施が少ないからでもなく、
「親鸞聖人の教えを伝えていないから」
ということに早く気づき、現状を改めなければなりません。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
もうすぐお盆ですよね。
お盆はいったい何をすれば良いのでしょうか?
世間では、先祖の霊を迎えて、送り出す行事のように考えられています。
これまでの話を読んでこられた方は、
それは本来の意味とは異なることがお分かりになると思います。
お盆とは、正しくは盂蘭盆(うらぼん)と言って、
『仏説盂蘭盆経』(ぶっせつうらぼんきょう)から起こったものです。
ウラボンという梵語(ぼんご)は
「倒懸(とうけん:倒さに懸かれる者)」ということですから、
『盂蘭盆経』とは、倒さに懸かれる者を救う方法を教えた経ということです。
では、倒さに懸かって苦しむ者とはだれのことでしょうか?
迷いを迷いと思えず、真実を真実と信じられない者は、
仏さまの眼からごらんになると、皆、倒さに懸かって苦しんでいるのです。
地位や財産、妻子が有れば有ることで悩み、無い者はそれらを求めてなお苦しむ。
どこに真実の幸せを喜んでいる人があるでしょうか。
阿弥陀仏の本願を知らず、すべての考えが顛倒しているから、
ちまたには嘆きの声が満ちています。
お盆は、亡き祖先を救う日ではなく、
今現に倒さに懸かって飢え、渇き、苦しみ続けて
未来永劫(みらいようごう)流転(るてん)せんとしている
わが身自身を救う「聞法精進(もんぽうしょうじん)の日」
であることを忘れてはなりません。
今年は、お盆を実家で過ごされる方が多いという報道がありました。
ぜひ、仏法の教えにふれる良い御縁となることを念じています。
知人が、韓国に仕事で出かけたとき、たくさん写真を撮ってきました。
日本で、土用の丑の日にうなぎを食べるように、
韓国ではその日にこれを食べるそうです。
若鶏の腹から内臓を出してきれいにし、
そこに高麗人参と洗ったもち米、さらに干しナツメ、栗、松の実、ニンニクなど
薬膳料理の食材としてよく知られたものを詰めた後、
水に入れて2~3時間じっくり煮込む料理です。(ウィキペディア 参照)
おいしそう!!
スタミナがつきそうですよね!
さて、夏の一曲。
あの有名なサザンの曲のカバー、バラードです。
http://www.youtube.com/watch?v=vNRniGeG9dU
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