「どーして、オレがこんな目に遭わないといけないんだ!
オレが何をやったというんだ!」
と言いたい事、いっぱいあるのが人生。
仏教では、自分に現れたどんな運命も、
自分の過去の行為が生み出した結果ですよ、
と教えられます。
「でも、身に覚えがないんだけどなぁ」
というお気持ち、理解致します。
確かに「身」に覚えはなくとも、「心」はどうでしょう?
仏教では、私たちの運命を生み出す行為と言っても3つあることを、
前回、ご紹介しました。
○身業:体でやること
○口業:口でしゃべること
○意業:心で思うこと
3つの中でも、口や身体の行いの元である「心」を一番重く見られるのが
仏教です。
「思っていても、言ったり、やらなかったりすれば問題ない」
と考えている私たちからすれば意外でしょう。
「思い」も行為なのです。
日ごろの思いが、自分の運命を生み出す一例をご紹介しましょう。
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ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、
平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、
隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、
ある日、B家を訪ねて懇願した。
「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。
お宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。
一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」
「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。
ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。
私の家は悪人ばかりがそろっていますので、
ケンカにはならないのです。ただそれだけのことです」
てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、
「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。
どうも皿かお茶碗でも割ったようである。
「お母さん、申し訳ありませんでした。
私が足元を確かめずにおりましたので、
大事なお茶碗をこわしてしまいました。
私が悪うございました。お許しください」
心から詫びている、お嫁さんの声がする。
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。
先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、
そんなところに置いた私が悪かったのです。
すまんことをいたしました」
と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。
「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。
ケンカにならぬ理由がわかった」
A家の主人は感心して帰ったという。
謗(そし)るまじ たとえ咎(とが)ある 人なりと
我が過ちは それに勝れり
(「光に向かって100の花束」一万年堂出版より)
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「こいつが悪い」
と他人のせいにする心が起きないでしょうか?
自分に引き起こった結果のすべては、
自分の過去の行為が生み出したものなのですが、
素直にそうだとは認められず、自分をそんな不幸な目に遭わせた
犯人探しをしないでしょうか?
仏教では、そんな心を「愚痴」(ぐち)と教えられます。
「愚痴」は、仏教では、私たちの犯すいろいろの罪悪をまとめられた
十悪の一つとして教えられます。
「恨み」「憎しみ」「ねたみ」の心のことです。
そんな心が、
「オレがこんな目に遭ったのはお前のせいだ!」
と口に言わせ、身体に暴力を振るわせ、とんでもない結果を引き起こしたりします。
「こんな不幸がやってきたのは、私の過去に蒔いた種の結果だ」
という心の人に、どうして「恨み」「憎しみ」「ねたみ」が起きてくるでしょう?
「思い」の違いが、人生を大きく変えるのが、お分かりになると思います。
私は、理系の人間ですが、数学が苦手でした。
数学が好きな人には申し訳ないのですが、何というか、その、
どーして、こんな学問が必要なのか、とよく考えました。
たしかに、足し算、引き算、掛け算、割り算は、必要です。
図形の知識もある程度いるでしょう。
でも、でもですよ!
微分積分いい気分、なんて言いますけどぉ、
ぜんっぜん、気分良くならないです!!
よっしゃぁ!今回は、まぁまぁ、取れたかなぁ……?
と思って、返ってきたテストを見て、目の玉ぼーん!
ぎょえぇぇぇぇ!!
なんじゃぁぁぁ、この点数わぁぁぁ!
ということ、たびたびありました。
(もちろん、悪かった、ということです)
すると、ムクムク出てくるんです。
「おのれぇぇ、
こんな引っ掛け問題だしよってぇぇ!!」(ゴゴゴゴゴ……)
「授業でやった問題と違うぢゃないかぁぁぁ!!」(当たり前)
「だいたい、こんなの解けなくったって、
社会で生きてけるよォー。
受験科目にない家庭科の方が大事だろー!!」
(かと言って、家庭科も不得意なんですが……)
と、先生を恨み、数学を呪い、
こんな学問を必修科目にした文部科学省を憎み……。
こんなだと、もうハッキリ言って、数学がつまんないんですよね。
ぜんぜん向上しないし、ムカつくし。
自分が数学やらないといけないのは、自分が高校に入ったからだし、
自分が理系を選んだからなんですよね。
しかも、悪い点を取ったのは、自分が勉強しなかったせいです。
得意な教科は好きだけど、不得意な教科は嫌い、というのは、
まったくもって自分の都合。
先生のせいでも、数学のせいでも、文部科学省のせいでもないんです。
「なぜやめぬ 恨み呪えば 身の破滅」
という言葉もあります。
「恨み」「憎しみ」「ねたみ」の心の種まきは、やがて必ず
不幸な結果を自分にもたらします。
身の破滅を招いたのは、他の誰のせいでもない、
自分の心の種まきが原因なのです。
たとえ、すぐに結果が現れなくても、その思いの種は、ずぅっと消えずに残り、
縁がやってきたときに不幸や災難という結果を生み出すのです。
「どーして、オレがこんな目に遭わないといけないんだ!
オレが何をやったというんだ!」
と言う前に、自分の心の種まきを反省してみる必要があるでしょう。
次回、もう少し続けたいと思います。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
日経新聞の土曜の朝刊で、親鸞聖人のマンガの連載が始まったことを
知りました。
「結い親鸞」というタイトルだそうです。
ビジネスマン必読の日経新聞に、何を思ったか、親鸞聖人のマンガが載るとは、
興味深いです。
多くのビジネスマンが利用する東京八重洲ブックセンターで、
昨年、一番売れた仏教書が、
「歎異抄をひらく」(一万年堂出版)だったそうです。
「歎異抄」には何かある、と思うのでしょうか??
親鸞聖人のことについてなら、どれだけでもお伝えしたい、
紹介したいことがあります。
気軽に聞いてくださいね!!
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心がけの大切さを知らされます。
自分にとって都合の悪いことが起きると
「あいつが悪い」