こんにちは☆

今日は、夕方から北陸に向けて出発します☆


往路はレンタカー、復路は電車で大阪を経由して、月曜に鳥取です。

文字には、いろいろとメッセージが込められているものですが、


今回は、“幸福”という文字、それぞれの漢字をじっくり見てみたいと思います。


“幸”という漢字は、象形文字なので、何かの形を由来としていますが、


聞くとちょっとビックリです。

「幸」は、もともと「手かせ」をかたどったものだそうです。

戦争があると、負けた国の人たちは、敵国の捕虜となるか、


それとも死刑になるかの何れかしかありません。

誰しも死にたくない、せめて捕虜となって生き延びたい、と願うでしょう。

捕虜となる人には「手かせ」をはめられ、処刑を免れたので、


それが「幸せ」を表す漢字の元になったようです。

「死なずに済んだ」「生き延びることができた」その喜びが「幸」という


漢字なんですね。

「死んだほうが幸せ」と思って自らの命を絶つ人は、


生きる喜びを知らない人と言えるでしょう。

「人間に生まれて良かった」という生命の大歓喜を味わうことこそが


人生の目的です。


“福”という漢字、ちょっと分解してみると、左の「示(しめす)篇」は「衣」に


見えますね。右側の田んぼは、「食」を表すものと取れます。


田の字の上にある形は住居に見えますから「住」を表していると言えるでしょう。

つまり「福」の字は「衣食住」そろった状態を表している、と取れますね。

日本では、着るものもあり、三度の食事が出来て、屋根のある住まいがある、


というのは当たり前のようですが、世界には、この3つがそろわず、


明日の生活もままならない人が大勢います。

常に、死の危険にさらされているのです。

ですから、「衣食住」がそろい、生きられる、ということは、稀なことであり、


大変に幸せなことだ、というメッセージが汲み取れます。

ですが、悲しいかな「衣食住」のそろった日本では、自殺が後を絶たず、


日々の生活を喜んでいる人があまりありません。


では、なぜ喜べないのでしょう??

それは、どれだけ手段に恵まれても、目的がわからなければ、


手段も意味を持たず虚しいだけになってしまうように、生きる手段に恵まれても、


生きる目的がわからなければ、生きることが虚しくなってしまうのと同じです。


2600年前、インドで活躍なされたお釈迦さまは、この生きる意味を


教えていかれ、800年前の親鸞聖人も、何のために生きるのか、という


人生の目的一つを明らかにしてゆかれました。

「苦しみ悩みの絶えない人生の海を、明るく渡す大船がある。


 その船に乗り、未来永遠の幸福に生きるためである」

親鸞聖人は、人生の目的をハッキリと教えておられます。


(*^-^)


○~思い出日記~○

小学生の頃、授業の休憩の10分間でも、外でドッジボールをしたり、


サッカーをしたり、いろいろ遊んでいた記憶があります。

よくあんな短い時間で、あれだけのことをやったものだ、と


自分でも感心するほどです。

大人になって「10分」と聞くと、「たった10分か…」と思って、


何もしないことが多いかもしれません。

人は、成長するにつれ、時間に対する感じ方が早くなると言われます。

ある学者の説によれば、20歳の人が60歳になるまでの40年は、


計算すれば13年にしか感じられない、というのです。

確かに、小学生や中学生の頃の1年1年の記憶のほうがしっかりしていて、


20歳を過ぎてからは、いつの出来事が、何歳のときか、あいまいです。

最近は「今日は、何曜日だったかなぁ?」と思い返すこともしばしば。


やがて「今年は、何年だったっけ?」と考え込んでしまう日がくるのでしょうか。

加速していく命の速さに、もっともなさねばならぬ大事を、急がねばならない、


と身が引き締まります。