おはようございます☆

昨日は高松に行ってきました。
あいにくの雨でしたが、やっぱり讃岐うどんを食べてきました♪

今朝のニュースを見ていたら、
救急車を呼んで、家の人が病院に行って留守になっている家に泥棒に入り、
その泥棒が捕まって、よくよく調べてみれば、実はその出動要請を受けた消防署の消防士が泥棒だった、というのがありました。

勤務態度は真面目な人であった、というのですが、
市民を守る職務に就いている人が、市民に不安を与えるというのは、もってのほかです。

蒔いた種は必ず生えます。
自らの行為の報いを受けるのは、自分自身。

お米の産地の偽装なども同様ですが、教訓にしなければならないと思います。

昨日も紹介しました「思いやりのこころ」(一万年堂出版)からの話題です。

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「この日は縁起が悪い」と言って、特定の日を嫌って避けている人が多い。

なぜならば、その日に言ったこと、やったことは成就しない、
手に入れたものもなくなってしまう、などと信じているからだ。

誰が言い始めたのか知らないが、実にバカげたことである。

わざわざ吉日を選んでやったはずなのに、成就しなかったものが、どれだけあるかしれない。

その数を数えてみると、縁起が悪い日にやって成就しなかったものと、きっと同じ数であろう。

吉日であっても悪を行えば、必ず悪い結果がやってくる。

縁起の悪い日であっても善を行えば、必ず善い結果が起きる。

幸、不幸は、その人の行為によって決まるのであって、日の善悪とは関係ないのだ。

(第九十一段)

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徒然草の中に、吉田兼好が書いている内容を紹介しました。

毎朝、「今日の運勢」を放送しているテレビ番組があるし、カレンダーや手帳には「日の善悪」が書かれているものが多い。

科学が発達した今日でも、こんな迷信を気にかけている人が、どれだけあるか分からない。

それなのに、七百年も昔に、ハッキリと「日の善悪は迷信だ」と言い切っているのだから、
「現代にも通じる合理的な精神」と評価されるのは当然だろう。

吉田兼好は、出家して仏教を学んだので「兼好法師」とも呼ばれている。

『涅槃経』に、
「如来の法のなかに吉日・良辰(りょうしん:「吉日」に同じ)をえらぶことなし」
と説かれているように、もともと仏教は、日の吉凶、善悪を問題にすることは迷信だと排斥しているのだ。

兼好は、釈迦の教えから当時の世相を見て、嘆いているのである。

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今日という日が、善い日になるか、悪い日になるか、
それは占いによって決まるものではないので、占いを信じるのも人間の迷いです。

何が幸不幸を決めるのか、徹底的に教えられているのが仏教の教えであり、それが「因果の道理」。

教えにふれる機会を持つことで、人生は一変するでしょう。
(*^-^)


○~思い出日記~○

「あれを見よ みやまの桜 咲きにけり 真心つくせ 人しらずとも」

時々、紹介する歌なのですが、一度読んだだけでは、意味がわからない、という人が多いようです。

“みやま”とは、「深山(みやま)」のこと。

誰も来ない奥山で咲いている桜も、人通りの多いところで咲いている桜も、どちらもきれいに花を咲かせます。
見られるから満開になり、誰も見ないから適当に咲く、という桜はありません。

同様に、私たちも、人が見ている、見ていないにかかわらず、
真心をつくしてゆきましょう、と教えられている歌です。

なぜなら、因果の道理は宇宙の真理。蒔いた種は必ず生えます。蒔かぬ種は絶対に生えません。
人が見ているとか見ていないとかで、善い種まきが報われる報われないが決まるのではないのですから、
裏表なく、よい種まきに徹したいものですね。

(*^-^)


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