おはようございます☆
今日は、岡山から日帰りで香川県高松市へ。
その後、夜に大阪に向けて出発します。
明日は、富山に行って、日曜日の晩に岡山に帰ります。
北陸は、雪のないことを念ずるばかり。
ではでは、前々回から続くシリーズ、最終章(ちょっと大げさ)です。
※前回までのあらすじ
浜辺に生えてる一本の曲がりくねった松の木。
その曲がった松の木を、まっすぐに見た者には賞金を、との立て札の主は、あの一休であった。
しかし、どこからどう見ても曲がった木は、どうにもまっすぐには見れない。
皆が思案しているところへ、本願寺の蓮如上人が。
あっさり謎解きした蓮如上人、一休のところへ行くが、残念!!
見破られることを見抜いていた一休は「蓮如は対象外」と立て札に但し書きをしてあった。
それにしてもわからぬのは、周囲の人々。
「いったいどういうことで??」
そこで、蓮如上人、種明かしを…。
(続きはここから)
・・・・・・・・・・
「何のことはないのじゃ。
曲がった松の木を、曲がった松の木じゃなぁ~、と見る。これほど真っ直ぐな見方はないのじゃ」
と。
つまりは、曲がった松の木をありのままに見る、ということ。
曲がった松の木を真っ直ぐに見ようとするのは曲がった見方。
曲がった松の木を、そのまま「曲がった松」と見るのが、真っ直ぐな見方。
ありのままに見る。これを仏教で「正見(しょうけん)」と言われる。
曲がった見方は「悪見(あっけん)」とか「邪見(じゃけん)」と言われる。
仏教は“法鏡(ほうきょう)”である、とお釈迦さまはご遺言なされているが、
「法」とは「真実」「ありのまま」という意味。
つまり「仏教は、ありのままの自己の姿を映し出す鏡である」ということ。
鏡に近づけば近づくほど、自分の姿が見えてくるように、
仏教を聞けば聞くほど、知らされてくるのは、自分の心の真実です。
“よもすがら 仏の道を求むれば 我が心にぞ たずね入りぬる”(源信僧都)
何のために仏教を聞くのか?と問われれば、ありのままの、本当の自己を知るため、と言っていい。
それは、そのまま「自分の生きる目的を知るため」と言える。
(*^-^)
○~思い出日記~○
3年前、アメリカのロサンゼルスに半年ほどいました。
最近、何人かの学生に、アメリカのロサンゼルスは、どこにあるか知ってるかな?と聞いてみたところ、
中に「アメリカ東海岸の北のほう」と答えてきた学生が数名……(ニューヨークと間違ってる??)。
ロサンゼルスは、アメリカ西海岸のカリフォルニア州の南側にあります。
カリフォルニア州の面積が、およそ日本と同じぐらい。
ちなみにサンフランシスコは、同じカリフォルニア州の北側に位置してます。
思い出を語れば、キリがありませんが、そのロサンゼルスで、日本語の「ありがとう」という言葉の由来を、英語で話をした、ということがありました。
相手は、メキシコ人、韓国人、その他アメリカ人以外の在米外国人、合計30名ほど。
せっかくなので、日本の「ありがとう」は、どんなにすてきな意味を持つ言葉なのか、紹介したわけです。
もともと仏教に由来する言葉なので、キリスト教しか知らない人が多い中で、わかってもらえるか不安でしたが、
結果は、予想外にも拍手喝采、「バンザイ」の連呼でした(なぜか、バンザイされました・笑)。
命の大切さを訴えた話でもあり、人命を奪う犯罪が絶えないアメリカに住む人の心に、何かしら伝わったものがあったのかな?と思いました。
すてきな「ありがとう」の由来を、もっとたくさんの人に伝えたいです☆
(*^-^)
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