元気よ届け!の願いを込めて 〜最終日〜
まだまだ寒い日が続きますが、ちょっとずつ日が長くなってきましたね。
“春”なんて言葉にはほど遠い寒さですが
自然はちょっとずつ、でも確実に春に向かっているようです。
そんな“実りの春”を最終日に感じてきました。
二日目の夜は仙台市内で宿を取り、一路向かうは相馬市。
苺農家さんの出荷のお手伝いに行ってきました。
その途中、クルマで走っていると海が近いことに気づき、限界まで行ってみることにしました。
見渡す限り、なにもありません。
あるのはそこに“あった”建物の基礎だけ。
なにも言葉が出てきません。
ちょっと大きな建物を見つけたので近づいてみると
なんと小学校でした。
体育館は見るも無惨な状態。。。
元バスケットマンとしてはコレを見つけた瞬間、胸がギュッと痛くなりました。
あの日の前日まではみんな楽しく遊んでいただろうに。。。
津波一つでこんなにもなってしまうものか?
今さらながらそんなことを考えながら外に出て、校舎を見てみると
わかりますか?
津波の到達した高さの壁に青く“印”がしてありました。
信じられない高さの建物が無惨な姿で横たわっているのを数多く見てきましたが、決して慣れることはありません。
その現実に直面するたびに未だに愕然とします。
そして校庭には、二度と持ち主のところへ帰ることの無い何百台のクルマたち。
永田町のお偉いさん達はこの光景を見たことがあるんだろうか?
まぁ無力な自分が言うのも変ですね。
何度見ても、この光景はやるせなくなります。
そんな中
校庭の溝になにかの球根が植えられていて、本当に感動しました。
そうですよね、起こってしまったことを嘆いているだけではなにも始まらない。
こうやってみんなが自分にできることをやっていけばいいんですよね!
そしてその“復興”を成し遂げた方の元へ。。。
バンディが初めて被災地支援に来た2011年4月26日
一番最初に“被災”した建物を見たのがこちらの苺の直売所でした。
そのときの衝撃は今も忘れることはありません。
そしてこのとき案内してくださった組合長さんは
“必ず立ち直ってみせますよ”
熱く熱く、語ってくれました。
それから約1年8ヶ月
見事に立ち直っていました!
なにもかもがぐっしゃぐしゃになってしまった店内も
ご覧のとおり!
いままで通り、苺が売れるようになってました。
そしてこの苺が大人気だそうで、この日も80箱用意された苺が朝並んでいた人たちだけであっという間に完売してしまったんですって!
本当にスゴいなぁ。。。
と、いうことで
見事に復活した、ピッカピカのビニールハウスで
たわわに実ったイチゴ摘みの
優しく、丁寧に、じゃんじゃん摘んでいきます!
まるで畑荒らしですやん(笑)
ま、バンディもけっこういただきました^^;
だってめちゃくちゃ美味しいんですモン♡
みんなで摘んだ苺は作業部屋に運んで
お父さんたちが大きさ別に箱詰めしていきます。
ピチピチのべっぴんさん!
みなさん“収穫できる喜び”を全身で感じているようでした。
みなさんの情熱にはただただ、頭が下がる思いです。
また必ずお手伝いに来ますから、みなさんお身体に気をつけてがんばってくださいね!
“実は・・・ここに実家があったんですよね。。。”
二日目におじゃましたおうちの向かい側
建物があったであろうその場所に、今回餅つきのコーディネートをしてくれた現地のボランティア団体“リアルアイ”の代表高橋さんが立ちすくみながら言いました。
“そりゃね、いろいろありますよ。ホントに。
でもね、できる人がやんなきゃなにも変わらないし、なにも動かないじゃないですか。”
ふだん見ているテレビからは、ほとんど被災地の情報は流れなくなりました。
それはナゼでしょう?
現場で動いているボランティアの姿はほとんどいなくなりました。
それはナゼでしょう?
その答えは人によっていろいろあると思います。
ではその答えた方にお聞きします。
被災地を見たことがありますか?
被災者の方に話を聞いたことがありますか?
と。
ボクは決して自分が被災地に行ったから、自分が話を聞いてきたから、偉そうに言うつもりはありません。
ただ自分が実際に見て、聞いて、感じること、それは
ということです。
私たちが当たり前のように仕事をし、当たり前のように家族や友達と接している間にも、被災者のみなさんはまだまだ辛い思いをして毎日を送っていらっしゃるということを、どうか忘れないでください。
そしてみなさんそれぞれが、“自分にできること”を実践していってほしいと思います。
ボク自身も、自分にできることを今年もやっていきます。
このブログが被災地支援のために少しでも役立つことを祈って。
最後に、今回伊勢から物資を送ってくださった
お米農家の服部さん
伊勢志摩農村連絡協議会の牧谷さん
あじへいの大西さん
トマト農家の谷口さん
前回に続き醤油を送ってくださった中川さん
大根を送ってくださった吉崎さん・澤さん
迷惑かけたのに今回もあんこを出してくれた同級生の清水
そしてみんなに声をかけてくれてまとめてくれた中森製茶の中森くん
ご協力、本当にありがとうございました。
“春”なんて言葉にはほど遠い寒さですが
自然はちょっとずつ、でも確実に春に向かっているようです。
そんな“実りの春”を最終日に感じてきました。
~最終日~
相馬市
相馬市
二日目の夜は仙台市内で宿を取り、一路向かうは相馬市。
苺農家さんの出荷のお手伝いに行ってきました。
その途中、クルマで走っていると海が近いことに気づき、限界まで行ってみることにしました。
見渡す限り、なにもありません。
あるのはそこに“あった”建物の基礎だけ。
なにも言葉が出てきません。
ちょっと大きな建物を見つけたので近づいてみると
なんと小学校でした。
体育館は見るも無惨な状態。。。
元バスケットマンとしてはコレを見つけた瞬間、胸がギュッと痛くなりました。
あの日の前日まではみんな楽しく遊んでいただろうに。。。
津波一つでこんなにもなってしまうものか?
今さらながらそんなことを考えながら外に出て、校舎を見てみると
わかりますか?
津波の到達した高さの壁に青く“印”がしてありました。
信じられない高さの建物が無惨な姿で横たわっているのを数多く見てきましたが、決して慣れることはありません。
その現実に直面するたびに未だに愕然とします。
そして校庭には、二度と持ち主のところへ帰ることの無い何百台のクルマたち。
本当に復興できるんですか?
永田町のお偉いさん達はこの光景を見たことがあるんだろうか?
まぁ無力な自分が言うのも変ですね。
何度見ても、この光景はやるせなくなります。
そんな中
校庭の溝になにかの球根が植えられていて、本当に感動しました。
そうですよね、起こってしまったことを嘆いているだけではなにも始まらない。
こうやってみんなが自分にできることをやっていけばいいんですよね!
そしてその“復興”を成し遂げた方の元へ。。。
バンディが初めて被災地支援に来た2011年4月26日
一番最初に“被災”した建物を見たのがこちらの苺の直売所でした。
そのときの衝撃は今も忘れることはありません。
そしてこのとき案内してくださった組合長さんは
“必ず立ち直ってみせますよ”
熱く熱く、語ってくれました。
それから約1年8ヶ月
見事に立ち直っていました!
なにもかもがぐっしゃぐしゃになってしまった店内も
ご覧のとおり!
いままで通り、苺が売れるようになってました。
そしてこの苺が大人気だそうで、この日も80箱用意された苺が朝並んでいた人たちだけであっという間に完売してしまったんですって!
本当にスゴいなぁ。。。
と、いうことで
見事に復活した、ピッカピカのビニールハウスで
たわわに実ったイチゴ摘みの
優しく、丁寧に、じゃんじゃん摘んでいきます!
まるで畑荒らしですやん(笑)
ま、バンディもけっこういただきました^^;
だってめちゃくちゃ美味しいんですモン♡
みんなで摘んだ苺は作業部屋に運んで
お父さんたちが大きさ別に箱詰めしていきます。
ピチピチのべっぴんさん!
みなさん“収穫できる喜び”を全身で感じているようでした。
みなさんの情熱にはただただ、頭が下がる思いです。
また必ずお手伝いに来ますから、みなさんお身体に気をつけてがんばってくださいね!
“実は・・・ここに実家があったんですよね。。。”
二日目におじゃましたおうちの向かい側
建物があったであろうその場所に、今回餅つきのコーディネートをしてくれた現地のボランティア団体“リアルアイ”の代表高橋さんが立ちすくみながら言いました。
“そりゃね、いろいろありますよ。ホントに。
でもね、できる人がやんなきゃなにも変わらないし、なにも動かないじゃないですか。”
ふだん見ているテレビからは、ほとんど被災地の情報は流れなくなりました。
それはナゼでしょう?
現場で動いているボランティアの姿はほとんどいなくなりました。
それはナゼでしょう?
その答えは人によっていろいろあると思います。
ではその答えた方にお聞きします。
被災地を見たことがありますか?
被災者の方に話を聞いたことがありますか?
と。
ボクは決して自分が被災地に行ったから、自分が話を聞いてきたから、偉そうに言うつもりはありません。
ただ自分が実際に見て、聞いて、感じること、それは
直接被害を受けていない人たちの風化は想像以上にすすみ
被災地の復興は想像以上にすすんでいない
被災地の復興は想像以上にすすんでいない
ということです。
私たちが当たり前のように仕事をし、当たり前のように家族や友達と接している間にも、被災者のみなさんはまだまだ辛い思いをして毎日を送っていらっしゃるということを、どうか忘れないでください。
そしてみなさんそれぞれが、“自分にできること”を実践していってほしいと思います。
ボク自身も、自分にできることを今年もやっていきます。
このブログが被災地支援のために少しでも役立つことを祈って。
最後に、今回伊勢から物資を送ってくださった
お米農家の服部さん
伊勢志摩農村連絡協議会の牧谷さん
あじへいの大西さん
トマト農家の谷口さん
前回に続き醤油を送ってくださった中川さん
大根を送ってくださった吉崎さん・澤さん
迷惑かけたのに今回もあんこを出してくれた同級生の清水
そしてみんなに声をかけてくれてまとめてくれた中森製茶の中森くん
ご協力、本当にありがとうございました。
元気よ届け!の願いを込めて 〜2日目〜
みなさん、新年あけましておめでとうございます!
今年中にはまた、ブログを再開したいバンディです。
ナント昨年末にまた、このブログ繋がりでステキなご縁をいただきました。
ホントにやっててよかったなぁ。。。
まぁでも再開したところで読んでくれる人いるのだろうか??(笑)
もぅだいぶブログから離れちゃったからなぁ。。。
いやいやっ、こんなつぶやきを書きたいんじゃないです!(^▽^;)
昨年末の被災地支援の二日目です。
二日目の一カ所目はコチラのおうちの庭をお借りして、この地区のみなさんにお餅をふるまうことになりました。
一見、何事もなかったようなこのおうちも
一階は完全に浸水し天井はごっそりなくなり、その傷跡が生々しく残っていました。
住めるようになるまで、片付けや掃除は本当に大変だったと思います。
でもここから補修するための補助金はいつ出るんだろう・・・
と思いながら一歩外に出てみると
一段下の隣の家から先は、すべて津波で流されてしまっていました。
“チリ地震のときも大丈夫だったから”
といって避難しなかった隣のおばあちゃんは亡くなったそうです。
まずは命があっただけでもよかった。
けど・・・
複雑な心境です。
でも場所を提供してくれたおばあちゃんは
“こんな遠いところまでよく来てくれました。ありがとうございます”
と言ってくれました。
そのお気持ちに応えるためにも!
この日も子供たちがいっぱい参加してくれました!
あったか~いつきたてのお餅をどんどん食べてもらいます♪
いいねぇ!たくさん食べてな!
なんであっかんべーやねん(笑)
続いてお飾り用の鏡餅を作ろうと思ったら・・・強力な助っ人参上!
コチラのお父さん“元和菓子職人”さんだそうで、そのプロの手さばきで・・・
あっという間にできました!
夏♂兄貴が“コツは左手の使い方ですか?”って聞いたら“お、よくわかったな”と言われ、みんなでオォーッ!ってなんたんですが・・・
単にお父さんが“左利き”だったとわかり大爆笑でした(笑)
ボクの地元伊勢の農家さんが送ってくれた野菜も、みなさんとっても喜んでくれました!
おじゃましました!また来ますからね~(^-^)/
続いては石浜地区でした。
こちらも被害は甚大で元々150世帯あったおうちも、今はたったの17世帯。
生き残った方々も、なかなか帰ってはきてくれないそうです。
残された方も去った方も、一筋縄ではいかない複雑な心境があります。
でもどこにおじゃましても本当に東北の方は優しいです。
決して喜怒哀楽の表現は大げさではないけど、黙ってそっと手を差し伸べてくださいます。
“寒かろぅ”とおじいさんが火をたいてくれました。
体だけではなく、心まであったかくなります。
夏♂兄貴はお母さんたちの肩をもんであげてました。
なかなかできそうでできないことですよね。
ちょっと感動しました。
こちらでは全世帯分の鏡餅を納めさせてもらいました。
どうかよいお年をお迎えください。
もぅ帰る頃にはすっかり日が暮れてました。。。
今年中にはまた、ブログを再開したいバンディです。
ナント昨年末にまた、このブログ繋がりでステキなご縁をいただきました。
ホントにやっててよかったなぁ。。。
まぁでも再開したところで読んでくれる人いるのだろうか??(笑)
もぅだいぶブログから離れちゃったからなぁ。。。
いやいやっ、こんなつぶやきを書きたいんじゃないです!(^▽^;)
昨年末の被災地支援の二日目です。
二日目の一カ所目はコチラのおうちの庭をお借りして、この地区のみなさんにお餅をふるまうことになりました。
一見、何事もなかったようなこのおうちも
一階は完全に浸水し天井はごっそりなくなり、その傷跡が生々しく残っていました。
住めるようになるまで、片付けや掃除は本当に大変だったと思います。
でもここから補修するための補助金はいつ出るんだろう・・・
と思いながら一歩外に出てみると
一段下の隣の家から先は、すべて津波で流されてしまっていました。
“チリ地震のときも大丈夫だったから”
といって避難しなかった隣のおばあちゃんは亡くなったそうです。
まずは命があっただけでもよかった。
けど・・・
複雑な心境です。
でも場所を提供してくれたおばあちゃんは
“こんな遠いところまでよく来てくれました。ありがとうございます”
と言ってくれました。
そのお気持ちに応えるためにも!
この日も子供たちがいっぱい参加してくれました!
あったか~いつきたてのお餅をどんどん食べてもらいます♪
いいねぇ!たくさん食べてな!
なんであっかんべーやねん(笑)
続いてお飾り用の鏡餅を作ろうと思ったら・・・強力な助っ人参上!
コチラのお父さん“元和菓子職人”さんだそうで、そのプロの手さばきで・・・
あっという間にできました!
夏♂兄貴が“コツは左手の使い方ですか?”って聞いたら“お、よくわかったな”と言われ、みんなでオォーッ!ってなんたんですが・・・
単にお父さんが“左利き”だったとわかり大爆笑でした(笑)
ボクの地元伊勢の農家さんが送ってくれた野菜も、みなさんとっても喜んでくれました!
おじゃましました!また来ますからね~(^-^)/
続いては石浜地区でした。
こちらも被害は甚大で元々150世帯あったおうちも、今はたったの17世帯。
生き残った方々も、なかなか帰ってはきてくれないそうです。
残された方も去った方も、一筋縄ではいかない複雑な心境があります。
でもどこにおじゃましても本当に東北の方は優しいです。
決して喜怒哀楽の表現は大げさではないけど、黙ってそっと手を差し伸べてくださいます。
“寒かろぅ”とおじいさんが火をたいてくれました。
体だけではなく、心まであったかくなります。
夏♂兄貴はお母さんたちの肩をもんであげてました。
なかなかできそうでできないことですよね。
ちょっと感動しました。
こちらでは全世帯分の鏡餅を納めさせてもらいました。
どうかよいお年をお迎えください。
もぅ帰る頃にはすっかり日が暮れてました。。。
元気よ届け!の願いを込めて 〜1日目〜
みなさんご無沙汰しております!バンディです。
今年の春、伊豆で開かれたチャリティイベントに参加したにもかかわらず、ぜんぜん行けてなかった“被災地支援”
ようやく12月27・28・29日で行って参りました!
今回は現地でボランティア活動をされている“リアル アイ”さんにコーディネートをお願いして、去年と同じく“餅つき”をやってきました。
その様子をご報告を兼ねて紹介させていただきます。
初日の朝は前回と同じく女川町地域医療センターで迎えました。
これはちょうど一年前、同じ場所から撮影したものです。
建物はすべて津波に飲み込まれ、残っているのは大きな建物の“ガラ”のみ。
そして今年。
横倒しになった建物以外はすべて撤去されていました。
“こんなに時間がかかるもんなんだな・・・復興って、どうなったら復興した!って言うんだろう・・・”
ふと浮かんだ正直な気持ちです。
ニュースで“受け入れる、受け入れない”と議論されている震災ガレキ。
まだまだ驚くほどの量があります。
津波の傷跡も容易に見つかります。
でも様子を見に行った女川漁港では、あきらかに人々が動き出してる様子を見ることができました!
一年前はな~んにもなかった漁港に、人々の働く姿。
次々と揚がる魚たち。。。
少しホッとする光景に出会えて、救われた気がします。
まず一日目の会場はコチラの
現在被災地では、復興作業員のための宿泊施設が絶対的に足りない状態になっています。
そこで女川町にあった旅館3件が合同で作った宿泊施設だそうです。
この施設がこの日オープン!ということで、地域のみなさんをお招きして餅つきをボクたちがさせてもらうことになったのです。
なんせ去年の経験がありますから!
チャチャッと準備して・・・
もちろん子供たちにも
ドンドン参加してもらいます!!
年齢なんかカンケーなし!!
でも悪役(エンガーワっていうらしい)は終始落ち込み気味でした(笑)
ついたお餅は今回も現地のおばあちゃん方に手伝ってもらい、どんどん丸めてってもらいます。
餅米・あんこ・きな粉
すべて伊豆や伊勢の農家の方や有志の方々からの支援物資です。
本当にありがたいです。
みんなドンドン食べてねーっ!
遠慮しないでくださねーっ!
たくさんの子供たちが“お餅おいし~い!”って言ってくれました♪
そしてボクもお母さんたちが作ってくれた“アラ汁”をいただきました!
も~ぅこれは絶品!!
兄貴お先っす(笑)
そして後半はおなじみの・・・
夏♂兄貴によるバルーンアート!
子供たちは何が出来上がるのか興味津々・・・カワイイですね~(笑)
おっきなブレスレット作ってもらってごきげんです♪
本当に嬉しそうでした^^
次々と兄貴の手から生み出されるカラフルなバルーンアートたち
子供の笑顔には本当に癒されます。
そして最後の大物は・・・・
でもとっても嬉しそうでした♪
まだまだ、とてもとても、大変だと思う。
でも子供たちは辛い顔一つ見せずに、とっても元気です。
去年もお手伝いしてくれた優花ちゃんにもまた会えました!
おっきくなったね!!再会できて本当に嬉しい!!
子供たちの笑顔はなによりの宝物です。
ご協力していただいたお母さんたちと。
みなさんのおかげで大成功でした!
本当にありがとうございます。
まだまだボクらも応援してますので、お身体に気をつけてよいお年をお迎えください!
今年ももうあと一日となりました。
ボクも明日から実家で少しゆっくりしようと思います。
二日目・三日目も年明けにアップさせてもらいますので、よかったら見てくださいね!
それではみなさん、よいお年を(^-^)/
今年の春、伊豆で開かれたチャリティイベントに参加したにもかかわらず、ぜんぜん行けてなかった“被災地支援”
ようやく12月27・28・29日で行って参りました!
今回は現地でボランティア活動をされている“リアル アイ”さんにコーディネートをお願いして、去年と同じく“餅つき”をやってきました。
その様子をご報告を兼ねて紹介させていただきます。
初日の朝は前回と同じく女川町地域医療センターで迎えました。
これはちょうど一年前、同じ場所から撮影したものです。
建物はすべて津波に飲み込まれ、残っているのは大きな建物の“ガラ”のみ。
そして今年。
横倒しになった建物以外はすべて撤去されていました。
“こんなに時間がかかるもんなんだな・・・復興って、どうなったら復興した!って言うんだろう・・・”
ふと浮かんだ正直な気持ちです。
ニュースで“受け入れる、受け入れない”と議論されている震災ガレキ。
まだまだ驚くほどの量があります。
津波の傷跡も容易に見つかります。
でも様子を見に行った女川漁港では、あきらかに人々が動き出してる様子を見ることができました!
一年前はな~んにもなかった漁港に、人々の働く姿。
次々と揚がる魚たち。。。
少しホッとする光景に出会えて、救われた気がします。
まず一日目の会場はコチラの
現在被災地では、復興作業員のための宿泊施設が絶対的に足りない状態になっています。
そこで女川町にあった旅館3件が合同で作った宿泊施設だそうです。
この施設がこの日オープン!ということで、地域のみなさんをお招きして餅つきをボクたちがさせてもらうことになったのです。
なんせ去年の経験がありますから!
チャチャッと準備して・・・
もちろん子供たちにも
ドンドン参加してもらいます!!
年齢なんかカンケーなし!!
でも悪役(エンガーワっていうらしい)は終始落ち込み気味でした(笑)
ついたお餅は今回も現地のおばあちゃん方に手伝ってもらい、どんどん丸めてってもらいます。
餅米・あんこ・きな粉
すべて伊豆や伊勢の農家の方や有志の方々からの支援物資です。
本当にありがたいです。
みんなドンドン食べてねーっ!
遠慮しないでくださねーっ!
たくさんの子供たちが“お餅おいし~い!”って言ってくれました♪
そしてボクもお母さんたちが作ってくれた“アラ汁”をいただきました!
も~ぅこれは絶品!!
兄貴お先っす(笑)
そして後半はおなじみの・・・
夏♂兄貴によるバルーンアート!
子供たちは何が出来上がるのか興味津々・・・カワイイですね~(笑)
おっきなブレスレット作ってもらってごきげんです♪
本当に嬉しそうでした^^
次々と兄貴の手から生み出されるカラフルなバルーンアートたち
子供の笑顔には本当に癒されます。
そして最後の大物は・・・・
でもとっても嬉しそうでした♪
まだまだ、とてもとても、大変だと思う。
でも子供たちは辛い顔一つ見せずに、とっても元気です。
去年もお手伝いしてくれた優花ちゃんにもまた会えました!
おっきくなったね!!再会できて本当に嬉しい!!
子供たちの笑顔はなによりの宝物です。
ご協力していただいたお母さんたちと。
みなさんのおかげで大成功でした!
本当にありがとうございます。
まだまだボクらも応援してますので、お身体に気をつけてよいお年をお迎えください!
今年ももうあと一日となりました。
ボクも明日から実家で少しゆっくりしようと思います。
二日目・三日目も年明けにアップさせてもらいますので、よかったら見てくださいね!
それではみなさん、よいお年を(^-^)/







































































