社会にたくさんの役割があるように、
右手と左手にも役割がありますね^^
例えば、右手でお箸を持てば、左手はお茶碗を持ちます。
右手がハサミを持てば、左手は紙を持ちます。
お箸を持つ手は優れていて、お茶碗を持つ手はダメだ!ということはないし、
そもそも、そんなこと考えませんよね^^
適材適所で、うまい具合に動いてくれます。
例えば、右手が金槌を持って、左手は釘を持って、
金槌で釘を打っていて、誤って左手を叩いたとします。
痛いと思った瞬間、右手は左手をかばいに行きますよね。
左手は、右手にやられたからといって、やり返したりしません。
当たり前ですが、調和の動きって、こおいうことだと思います。
逆に、やられた左手が右手にやり返し出したらどうなるでしょうか。
右手がワザとに左手を叩いていたらどうでしょう。
ハサミを持った右手ばかり目立ちやがって!と左手が足を引っ張り出したらどうでしょうか。
そのうち、人間として機能しなくなる。壊れてしまいます。
これ、日常生活にそっくりそのまま置き換えられますよね。
テレビを全くみないので分かりませんが、政治もそうだと思います。
右手と左手の扱うものが人間なら、
政治家が扱うものは、国であったり国民です。
機能しなくなっちゃいました、、、とか、壊れちゃいました、、、
では済みませんね^^;
何が違うかというと、調和の動きには、
右手は良いとか、左手は悪いとか、良い悪いの判断がありません。
あーだこーだ判断する前に、するべき行動をしています。
執着がないですよね。
執着すれば必ず良い悪いをつけるし、
執着すればするほど、「私が!私が!!」 と、我が強くなります。
まずは私のできることから。
なるべく執着を手放して、心地よく調和の動きを取りたいと思います。