旅に出て唯一の心残り・・・
昨日今日とGLAYの東京ドームライヴ!!
あー行きたい!!!
あー気になるーーーーーーーー
気になってこの間夢にじろうが出てきた♪
これはこれで幸せヾ(@^▽^@)ノ


リアルタイムはシェムリアップ!!
その前にプノンペンで見た
カンボジアの歴史を記録です


どこの国にも
悲しい歴史があります
たくさんの人が亡くなったことがあります
ここカンボジアでも
たくさんの人が亡くなった悲しい過去がありました
しかもカンボジア人がカンボジア人によって殺されたんです

それを感じることができるのがプノンペンにある
トゥールスレン虐殺犯罪博物館と
キリングフィールド

私たちが泊まっていたのは
プノンペンの老舗ツアー会社キャピトルの近く
トゥールスレンはここから徒歩で行ける距離にあります

キリングフィールドは遠いので
人数が3人以上で運行されるキャピトルのバス(往復4ドル、1日3便)を
利用したかったのですが、人が集まらなかったので
トゥクトゥク交渉して往復10ドルで行ってきました!!

私も今回行くのをきっかけにネットで少し調べました

ポル・ポトを中心とする革命軍クメール・ルージュ
この軍によってこの場所で
たくさんのカンボジア人が拷問され、
殺されたのです

トゥルースレンは元は学校だったそうです
当初はS21と呼ばれのちのちその場所から
トゥルースレンと呼ばれたそうです




クメール・ルージュがこの地を訪れ、
市内の人々を全て追い出した
そしてこの学校であった場所を
反革命分子の収容所としたそうです

収容されていた場所を見学することができました






このような部屋に足をつながれて収容されたようです

これは拷問に使われたそうです




吊るし上げて拷問し
気絶したら汚い水が入った壷の中に顔を入れ
目を覚まさせまた拷問する
自白させるまで拷問されます

自白といっても
してもない罪を認めさせるのです
そして自白したら殺されます
一人が自白すれば
その家族も皆殺しだったそうです
それは復讐する人が出ないようにするため
つまり子供から大人まで
男女問わずです

ここには犠牲となった方々の
顔写真も展示されています
番号札を付けられ
写真によっては血だらけで横たわっている人
小さな子供を抱いた母親の写真もありました
とてもたくさんの写真がありました

そしてここだけでは死体が収まりきらなくなり
死体を収めるためにキリングフィールドが作られた



こちらでは入場料6ドルで日本語オーディオを渡されるため
とても詳しい解説を聞きながら
中を見学できました



トゥルースレンで処刑が決まった人々が
目隠しをされ
「住家を移動する」とだけ伝えられ
トラックでここに連れてこられ
次々に殺されていったそうです






現在は小屋等なく、
広々としていましたが
当初は運ばれてきた人を入れておく部屋や
薬剤を置いておく小屋等があったそうです




この木の反り返っている幹で
人の首を切って殺すこともあったそうです

殺すときは銃は高価であったため使わず
桑等日常で使われているもので殺されました

そして遺体は深く掘った穴の中に入れられたそうです







現在もまだ埋まったままの小さな骨や歯、
衣服が地面には残されていました

しかし頭蓋骨や大きな骨は
拾いあげられ慰霊碑に保管されており
現在写真のように囲われミサンガがかけられてました

この中で特に心打たれたのがこちら
キリングツリー


小さな子供の足を持ち
この木に叩きつけて殺したそうです
当時はこの木に血痕や脳みそが付着していたそうです
そしてすぐ隣に女性や子供の遺体の穴があったそうです


つまり、母親の目の前で子供を木に叩きつけて殺し
穴へ投げ入れた
もちろん母親も殺され穴の中へ

若い女性は殺される前に
酷いことをされたとも

穴の淵に連れていかれ
殺され
穴の中へ遺体を入れる
その繰り返し
そして殺す際この木にスピーカーを付け

大音量で音楽を流したそうです

それは殺される人の断末魔を
かき消すため・・・

オーディオでは
流されていただろうという音楽も聞けます

こんな音楽を聴きながら
時には青空のもと殺されるなんて
とても信じられません

慰霊碑です


この中には頭蓋骨や歯、大きな骨が
並べられていました






頭蓋骨には穴が開いていたり
ヒビが入っているものが多々あります
これは殴られたときに開いたものものだそうです

頭蓋骨に穴が開くほど
おもいきり殴られ
殺されていったということです

小さな骨や衣服も
現在でも拾い集めているそうです


クメール・ルージュの軍隊であっても
反革命の要素を感じれば
殺されたそうです

軍隊の人も
やりたくない仕事であっても
逆らえば自分が殺される
そういう恐怖のもとで
残虐な行為を繰り返していたと

ここから生き残った人は
8名のみ

ここが発見され
この行為が終わったのは
ベトナム軍によってでした

しかし当時ベトナムは
アメリカ等と対立していたため
クメール・ルージュは否定されなかった

そして主犯であるポル・ポトは
家族もおり
80以上も生きたそうです
信じられないことです


カンボジアの悲しい歴史を知り
なんともいえない気持ちになりました
日本もですが
大事なことはこれを二度と繰り返さないこと
そして忘れてはいけないということです

私は今回カンボジアに来たため
詳しく知ったし
調べるきっかけにもなりました

私が書いたこの日記みたいな話では
うまく書けないし
うまく伝えられないです

だからカンボジアに来ない人でも
少し気になったら
ネット等で調べれば詳しく出てきます

悲しい過去ですが
やはり知って伝えていかなければいけない
と思います

キリングフィールドでは
オーディオにより詳しく教えてくれましたが
トゥールスレンは英語表記ばかりで
私もネットで調べてから行かなかったら
全く分からなかったです


しかし
日本にも
たくさんの国々にも
悲しい歴史があり
それを現在分かっていて
伝えていく人たちがいるのに
世界から戦争が無くならないのは
なぜなんでしょうかね・・・

あまりカンボジアの歴史を知らなかった方
よろしかったら少し
ネット等で調べてみてださい