3歳児とはなんぞや。
自我に目覚めるが、自我を押さえる術をまだ知らず、
言語も上手に操れないため、感情を確実に伝える事が出来ず、
さらにその苛立ちを自分自身で消化できずに癇癪を起こし、
結果ギャァギャァ泣き喚く、という恐ろしい得意技を持つ幼児。
その姿、まるで野性のサルの如し。
どうですか?
私なりの見解ですが、いかがでしょうか。
でさ、最近フと振り返ってみた。
チビの事、メッチャ叱る回数増えた。
いや、「叱る」というより「怒る」か。
駄目なんだよなぁ怒っちゃ。
叱らなきゃいけないんだよなぁ。
でもね、ここ最近、押さえきれずに爆発する事がね、増えた。
例えばこの前スーパーでね、積んである買い物カゴを、
キャスターごとゴロゴロ転がして遊び始めたわけ。
でさ、勿論、確実に迷惑行為であるからして、
止めさせるという義務が生じるじゃないですか親として。
ユト 「それダメなんじゃないの?やめなさいよ?(ドスの聞いたアルトで)」
チビ 「やめない!」
ユト 「・・・・。」(キンコンキンコン)(心の起爆スイッチON警告音)
ユト 「もう一回言うよ?やめなさいね?(ドスの聞いたテノールで)」
チビ 「・・・・・(軽くスルー)」
ユト 「いい加減にしなさいよっ!(ぐぁぁぁっ!)(カチ)(ドッカーン!)」
とまぁ、こんな感じでございまして。
んで、こんな感じが急激に増え過ぎた気がしないでも、ない。
でさ、帰りの車の中でも怒りおさまらずで、
グチグチグチグチ怒り続けちゃったりしてさ。
怒りながらも頭の片隅で「大人げないなぁ」とか、
「酷いよなぁ」とか、「可哀相だな」とか思ってる自分も居て、
総合的に「あ~ぁ…」な気持ちになっちゃうわけですハイ。
チビが生まれて丸3年。
一日24時間、365日、×3。
ずーっと一緒に過ごしてきたんだよなぁ。
妊娠が解った時、心拍確認できるかな?って心配したっけ。
んで、無事安定期迎えられるかな?って心配して、
元気で無事生まれますようにって祈って、
素晴らしい人生になりますようにと想いをこめて名前つけたり、
ちゃんと離乳食食べるかな?歩けるかな?立てるかな?
健康でいられるかな?って、数えるとキリがないくらいの、
「心配」と「願い」と「祈り」を繰り返して過ごしてきたんだっけなぁ。
って、改めて思い返すと気付かされる。
チビに対して望み過ぎてるなぁって。
元気でさえいてくれればいいって思ってたはずなのに。
他は何も望まないって思ってたはずなのに。
いつの間にか、いつトイレできるようになるんだろう?
まだひとりで着替えできないのかな?
つか、いつオッパイやめんの!?なんてさ。
初心、忘れまくり。
ちょっと喋り出して会話が成立してるといっても、
コミュニケーション能力なんてまだまだ無いに等しいわけだし、
大人だって難しい感情のコントロールなんて、
3歳児なんて当然出来る訳ないしね。
いちいちムキになるコッチがどうにかしてるんだろうなぁ。
なんてシミジミ思う今日この頃であります。
かと言って、ムキー!!が押さえきれるとは、
到底思えませんがね、私的に。
だってほら、気が、長い方では、決して、無い、ので。ハハハハ。
まぁ、穏やかな心をキープできるように、要努力、ですかね?